TEAMS FILE- キズナ繋がれ!みんなのチーム名鑑 -

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49 若林晃弘

ワカバヤシ アキヒロ

内野手

現在の所属 北海道日本ハムファイターズ(野球) 生年月日 1993年8月26日
身長 180cm 体重 79kg
出身地 東京都中野区
投/打 右/両
出身小学校 中野区立桃園第三小学校
出身中学校 中野区立第九中学校
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スポーツ歴

北海道日本ハムファイターズ 野球

2024年 - 現在

内野手

2024年3月11日、郡拓也とのトレードで北海道日本ハムファイターズへの移籍が発表された。背番号は49。

読売ジャイアンツ 野球

2018年 - 2023年

内野手

2018年は、5月12日の対中日ドラゴンズ戦8回表から、中堅手として一軍公式戦に初出場を果たした。8月9日の対阪神タイガース戦(東京ドーム)では、秋山拓巳から左打席で初安打を放った。最終的に、一軍公式戦には通算で17試合に出場したが、この安打だけ(18打数1安打)でシーズンを終えた。オフに、80万円増の推定年俸880万円で契約を更改した。

2019年は、レギュラーシーズン開幕直後の4月7日に出場選手登録を果たすも、同月17日の広島東洋カープ戦で右腕に死球を受け2週間足らずで一軍登録を抹消された。一軍で二塁を守っていた選手達に故障や不振が相次いだことから、セ・パ交流戦直前の6月1日に再び登録されると、6月7日の対千葉ロッテマリーンズ戦(東京ドーム)では、一軍公式戦での初本塁打を二木康太から左打席で記録した。交流戦では17試合に出場すると、チームの規定打席到達者トップ(全12球団で11位タイ)の打率.333を記録。一時は、交流戦の打率.441でトップに立っていた。レギュラーシーズン終盤の9月上旬に出場選手登録を再び抹消されたが、一軍公式戦全体では77試合の出場で、打率.239ながら5本塁打を放ったほか、58試合で二塁、17試合で三塁、6試合で外野、2試合で一塁、1試合で遊撃を守るなどユーティリティープレイヤーとして活躍。チームがセントラル・リーグ優勝を経て臨んだポストシーズンでも、阪神とのクライマックスシリーズ ファイナルステージや日本シリーズに出場した。オフに、1020万円増の推定年俸1900万円で契約を更改。背番号が37に変更された。

2020年は、開幕一軍を逃したものの、開幕直後の6月25日に出場選手登録を果たす。7月18日に抹消されたものの、8月4日に再登録された後はシーズン終了まで一軍に帯同した。前年と同程度の76試合に出場したが、主に二塁に定着した吉川尚輝の台頭の影響もあり、スタメン機会は前年に比べ減少した。また20試合で二塁を守ったのに対し、43試合でレフトやライトに就くなど外野手としての出場機会が増加した。盗塁を6回試みて4回失敗するなど走塁面に課題を残した。日本シリーズでは、4戦目で「1番・右翼手」としてシリーズ初スタメン出場し二塁打から先制のホームを踏んだが、試合は直後に逆転されシリーズ敗退が決定した。オフに、300万円増の推定年俸2200万円で契約を更改した。

2021年は、オープン戦で打率、本塁打、打点でチームトップの記録を残し、「2番・二塁手」で開幕スタメンを勝ち取った。3月27日の開幕2戦目で、走塁時に左太ももを負傷し途中交代したが、登録抹消はされず、同31日に代打として実戦復帰した。4月4日に新型コロナウイルス感染症の陽性判定が確認され、2021特例適用選手として出場選手登録を抹消された。最終的に、自己最多の96試合に出場し、打率.239、5本塁打、16打点を記録した。オフに、600万円増となる推定年俸2800万円で契約を更改した。

2022年は、キャンプ、オープン戦と一軍で過ごし、そのまま開幕一軍入り。 4試合でスタメンするも、5月1日の試合前練習に参加後、登録抹消。 その後は詳細がわからないまま、5月25日にファームで実戦復帰するも、その後再び実戦出場がないまま、6月2日に翌3日に右手血行障害の改善手術を受けることが判明。翌3日に同手術を受けたことを球団が発表した。一部報道では、手に痺れがあり登録抹消後、回復を目指し保存療法でリハビリを重ね、一時実践復帰も患部の状態が思わしくなかったため、手術に踏み切ったとされている。 当初、実戦復帰まで4ヶ月とされていたが、8月17日の午前中に行われた3軍・プロアマ交流戦で二塁手としてスタメン出場、2回からは遊撃の守備に就くなど、6回まで試合に出場し、実戦復帰。当時一軍メンバーだった中山礼都が腰痛を訴え一軍から離脱することを受け、急遽一軍登録(当初の報道では、中山の抹消のみが伝えられていた ) 。 結局一軍での実戦復帰は、8月20日の対阪神20回戦に7番・遊撃手でスタメン出場するまで見送られたが、それ以降はシーズン終了まで登録抹消されることなく一軍に帯同した。 9月21日には、先発シューメーカーの代打で決勝点となるセカンドゴロを放ち、原監督から「ピンチヒッターでああいうバッティングをできると存在感がありますよね」と称賛された。 オフには、300万円減の推定年俸2500万円で契約更改した。

2023年は、内外野の多くのポジションを守れる湯浅大、秋広優人、ルーキーの門脇誠の入団もありキャンプを2軍で過ごす。 その後3月19日のイースタン・リーグ公式戦の開幕戦に、2番・セカンドとしてスタメン出場。その後開幕まであと10日と迫った3月22日に松原聖弥・アダム・ウォーカーと入れ替わる形で石川慎吾とともに、一軍昇格を果たすと、同日行われた、オープン戦の戦に7番・一塁手としてスタメン出場を果たした。その後、WBCメンバーが合流する24日に再び2軍に合流した。

ENEOS野球部 野球

2016年 - 2017年

内野手

1年目からレギュラーとして出場。第42回社会人野球日本選手権大会では、NTT西日本との初戦に敗れたものの、「9番・二塁手」として先発出場した。2年目の第88回都市対抗野球大会には、三菱日立パワーシステムズの補強選手として出場すると、JR西日本との準々決勝では満塁本塁打を記録。秋には、社会人日本代表の内野手として第28回BFAアジア選手権へ出場した。

2017年10月26日に行われたNPBドラフト会議では、読売ジャイアンツから6位指名を受け、契約金4000万円、年俸800万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は60。担当スカウトは井上真二。

法政大学硬式野球部 野球

2012年 - 2015年

内野手

1年春から東京六大学野球のリーグ戦に出場すると、3年秋に正二塁手へ定着した。4年春にはリーグ2位の打率.390を記録。秋季には、打率.279、3本塁打という成績で、二塁手としてベストナインに選ばれた。在学中には、リーグ戦で通算59試合に出場。打率.267(176打数47安打)、4本塁打、20打点、10盗塁という成績を残した。1学年先輩に、石田健大がいる。

桐蔭学園高等学校硬式野球部 野球

2009年 - 2011年

内野手

1年夏の選手権神奈川大会でベンチ入りを果たし、投手として登板した。1年秋から外野手、2年秋からは遊撃手としてレギュラーの座を確保。茂木栄五郎らとクリーンアップを組んで臨んだ3年夏の神奈川県大会では、4回戦で茅ヶ崎西浜高校の古村徹、5回戦で川崎工科高校の青柳晃洋、準々決勝で武相高校の井口和朋に勝利。しかし、松井裕樹を擁する桐光学園高校との準決勝に、4-5で惜敗した。1学年後輩に山野辺翔、2学年後輩に齊藤大将がいる。

世田谷目黒西リトルシニア 野球

2006年 - 2008年

東京世田谷ボーイズ 野球

○○年 - 2005年

世田谷タイガース時代

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