TEAMS FILE- キズナ繋がれ!みんなのチーム名鑑 -

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125 古川侑利

フルカワ ユウリ

投手

現在の所属 福岡ソフトバンクホークス(野球) 生年月日 1995年9月8日
身長 178cm 体重 91kg
投/打 右/左
出身地 佐賀県武雄市
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スポーツ歴

福岡ソフトバンクホークス 野球

2023年 - 現在

投手

2022年12月9日、初めて開催された現役ドラフトにて、地元・九州の福岡ソフトバンクホークスから1巡目で指名され移籍した。同14日に入団会見が行われ、背番号は63と発表された。

2023年は春季キャンプをB組でスタートしたものの、2月28日からA組に合流すると、アピールを続け、3月31日の開幕を一軍で迎えた。ただ、4月4日のオリックス戦での移籍後初登板後は、中16日も登板間隔が空き、5月3日のオリックス戦でのシーズン5試合目の登板後は、同19日の二軍戦に中15日で調整登板することがあったなど、登板機会に恵まれなかった。その後、交流戦に入って2試合連続失点を喫すると、6月1日に出場選手登録を抹消された。二軍では25試合の登板で防御率1.01と好調を維持し、8月29日に再登録されたが、1試合に登板したのみで藤本博史監督から「チームの編成上、申し訳ない」と二軍降格を告げられ、9月1日に登録抹消。その後の一軍再昇格は果たせずにシーズンを終えた。この年の一軍登板は9試合にとどまったが、ストレートの平均球速は向上。二軍では34試合の登板で2勝2敗・防御率1.43、奪三振割合も27.6%と好成績を残したが、10月22日に球団から戦力外通告を受け、「体は全然元気だし、真っすぐの平均スピードもまだまだ上がっているので。僕の真っすぐを見てほしいですね」と現役続行を希望した。その後、NPBを含む複数のチームからオファーがあったものの、11月18日に育成選手として再契約を結んだことが発表された。

北海道日本ハムファイターズ 野球

2022年 - 2022年

投手

2021年12月13日に北海道日本ハムファイターズと育成選手契約を締結した。推定年俸は550万円、背番号は116。
2022年は春季キャンプを一軍でスタートすると、オープン戦では4試合・6イニングを投げて防御率0.00と結果を残し、3月20日の試合前に支配下選手登録。推定年俸は750万円、背番号は91に変更となった。リリーフとして開幕を一軍で迎え、3月31日の西武戦でプロ初ホールドを記録。6月17日のロッテ戦を終えた時点では、21試合の登板で0勝0敗2ホールド・防御率2.63という成績であったものの、この試合を最後に同20日に出場選手登録を抹消された。7月17日に特例2022の代替指名選手として再登録されたが、9月8日のロッテ戦では打者5人で被安打5、1/3回で4失点を喫して以降は登板機会が無く、同24日に登録抹消。そのまま二軍でシーズンを終えたが、新庄剛志新監督が“トライアウト”と位置づけた1年の中、チーム6位の34試合に登板し、0勝1敗3ホールド・防御率4.08を記録した。11月30日に550万円増となる推定年俸1300万円で契約を更改した。

 

<記録>
【初記録】
・初ホールド:2022年3月31日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(札幌ドーム)、6回表に2番手で救援登板、1回無失点

読売ジャイアンツ 野球

2019年 - 2021年

投手

2019年7月7日に和田恋との交換トレードにより、読売ジャイアンツへ移籍。翌8日に入団会見が行われ、背番号は67と発表された。7月24日の東京ヤクルトスワローズ戦で移籍後初登板初先発を果たしたが、1回4失点で降板し、試合後には二軍再調整が決定した。9月22日にリリーフとして出場選手登録され、翌23日のヤクルト戦で1点ビハインドの5回裏から移籍後2試合目の登板となり、3回5奪三振のパーフェクトピッチングを見せると、8回表にチームが逆転したことで古川に移籍後初勝利が記録された。移籍後は3試合(1先発)の登板で1勝1敗・防御率7.20という成績であり、オフに現状維持となる推定年俸1600万円で契約を更改。その後、11月16日から開催されたプエルトリコウインターリーグに派遣され、7試合の登板で2勝2敗・防御率2.04を記録した。プエルトリコ滞在中の12月10日には、巨人での背番号が40に変更となったことが球団から発表された。

2020年はオープン戦で好調を維持していたが、新型コロナウイルスの影響で開幕延期。6月19日の開幕は一軍で迎えたものの、1試合に登板したのみで同25日に出場選手登録を抹消された。『トラックマン』などのデータは例年と変わらないにもかかわらず、打者に捉えられる原因不明の不調に悩まされ、シーズン終盤にようやく復調すると、10月6日に出場選手登録。ただ、4登板中2試合で失点と結果を残せず、同28日に登録抹消となり、そのまま二軍でシーズンを終えた。この年は5試合の登板で防御率11.57という成績にとどまり、オフに300万円減となる推定年俸1300万円で契約を更改。また、12月22日には背番号が63に変更となったことが球団から発表された。

2021年は開幕から二軍での調整が続き、9月12日に出場選手登録され、同17日のヤクルト戦でシーズン初登板となるも、塩見泰隆に満塁ホームランを打たれるなど、2回3安打4四死球4失点。翌18日に出場選手登録を抹消されると、そのまま二軍でシーズンを終え、この年の一軍登板は前述の1試合のみに終わった。イースタン・リーグでは36試合に登板し、2勝1敗2セーブ・防御率2.18と安定した投球を続け、10月のフェニックスリーグでは自己最速の154km/hを計測したが、11月28日に球団から戦力外通告を受けた。現役続行を希望し、12月8日に開催されたトライアウトに参加。打者3人を相手に左安・二飛・中飛という結果であったものの、登板した22投手の中では最速タイの149km/hを計測した。

東北楽天ゴールデンイーグルス 野球

2014年 - 2019年

投手

<記録>
【初記録】
(投手記録)
・初登板:2014年9月14日、対埼玉西武ライオンズ20回戦(西武ドーム)、7回裏に3番手で救援登板、1回1失点
・初奪三振:同上、7回裏に山川穂高から空振り三振
・初先発登板:2017年4月2日、対オリックス・バファローズ3回戦(京セラドーム大阪)、3回1/3を4失点で勝敗つかず
・初完投:2017年10月5日、対千葉ロッテマリーンズ24回戦(ZOZOマリンスタジアム)、8回2/3を3失点で敗戦投手
・初勝利・初先発勝利:2018年6月5日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、5回1失点

 

(打撃記録)
・初打席:2017年6月2日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)、3回表に小笠原慎之介から空振り三振
・初安打・初打点:2018年5月29日、対横浜DeNAベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、4回表にジョー・ウィーランドから中前適時打

有田工業高等学校硬式野球部 野球

2011年 - 2013年

投手

1年夏からのベンチ入りを経て、2年秋からエースの座を確保。3年時の5月から6月にかけて開催された第60回NHK杯佐賀県高等学校野球大会では、決勝戦で敗れながらも、通算投球イニング40回2/3で40奪三振を記録した。夏の全国高等学校野球選手権佐賀大会では、決勝までの5試合(投球回数47イニング)通算で47三振を奪い、いずれの試合でも1点差の完投勝利を記録。学校創立114年目にして、チームを春夏通じて阪神甲子園球場での全国大会初出場へ導いた。本大会では、大垣日本大学高等学校との1回戦で、当時の自己最速記録であった148km/hを記録。5回までに3点を失いながらも、チームは逆転勝利を果たした。常葉学園菊川高等学校との2回戦では、桒原樹から公式戦では初めての被本塁打を喫するなど、4回までに5点を失った末にチームも敗戦。この年の夏の選手権大会では、佐賀県大会2回戦からの7試合で、通算935球を投げた。その一方で、4番打者も務めていたことから、NPB球団の一部からは打者として評価されていた。

東北楽天ゴールデンイーグルスなどのNPB8球団から調査書が届いたことを受けて、3年夏の選手権大会後の2013年9月に、プロ志望届を日本学生野球協会へ提出し、10月24日に開催されたNPBドラフト会議では楽天から4巡目で指名。契約金3000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。有田工業高校出身者からのNPB入りは初めてで、背番号は60。

野球

2008年 - 2010年

武雄市立武雄北中学校野球部

武内スポーツ少年野球団 野球

2004年 - 2007年

高校野球の経験者である父親の影響で、武雄市立武内小学校の3年時に投手として野球を始めた。

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