戸田 善紀
トダ ヨシノリ
1964年 - 1976年
旧:阪急ブレーブス時代、1969年プロ初勝利。1975年日本一に貢献。1976年5月11日vs.南海でノーヒットノーラン記録。2年連続日本一に貢献。
1961年 4月 - 1963年8月
2年の時、控え投手として1962年の夏の甲子園に出場。2回戦では先発として起用されるが日大三高に敗れた。翌1963年の春の選抜にエースとして出場し、1回戦の首里高戦で21奪三振を記録する[1]。これは現在も選抜大会歴代最多記録である。この大会では2回戦で北海高の吉沢勝投手と投げ合い逆転負け。同年の夏は府予選準決勝で浪商のエース高田繁に投げ勝つが、決勝では和田徹のいた明星高に敗れる。明星高は甲子園で優勝。高校の同期生に四番打者、一塁手の中塚政幸がいた。