TEAMS FILE- キズナ繋がれ!みんなのチーム名鑑 -

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73 武田久

タケダ ヒサシ

投手コーチ

現在の所属 北海道日本ハムファイターズ(野球) 生年月日 1978年10月14日
身長 170cm 体重 73kg
出身地 徳島県徳島市
投/打 右/右
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スポーツ歴

北海道日本ハムファイターズ 野球

2024年 - 現在

投手コーチ

日本製鉄東海REX 野球

2020年 - 2023年

投手コーチ

日本通運野球部 野球

2018年 - 2019年

投手 兼 コーチ

2018年からは古巣の日本通運硬式野球部に選手兼コーチとして復帰。現役生活を続けながら生田目翼などを指導した。生田目が古巣の日本ハムへ入団した2019年オフに現役を引退。コーチ職からも退いた上で、日本通運を再び退社した。

北海道日本ハムファイターズ 野球

2003年 - 2017年

投手

【タイトル】
・最多セーブ投手:3回(2009年、2011年、2012年)[注 3]※パ・リーグタイ記録(他はD.サファテ)
・最優秀中継ぎ投手:1回(2006年)

 

【表彰】
・月間MVP:1回(投手部門:2012年9月)

 

【記録】
<初記録>
・初登板:2003年4月27日、対大阪近鉄バファローズ5回戦(東京ドーム)、7回表無死に3番手で救援登板、1回無失点
・初奪三振:同上、7回表無死に川口憲史から
・初勝利:2003年6月2日、対大阪近鉄バファローズ9回戦(東京ドーム)、4回表に2番手で救援登板、3回無失点
・初ホールド:2005年8月19日、対オリックス・バファローズ12回戦(スカイマークスタジアム)、7回裏1死に3番手で救援登板、1回2/3を無失点
・初セーブ:2005年9月22日、対オリックス・バファローズ17回戦(スカイマークスタジアム)、9回裏に2番手で救援登板・完了、1回無失点

 

<節目の記録>
・100セーブ:2011年9月29日、対福岡ソフトバンクホークス23回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、9回裏に2番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上24人目
・150セーブ:2013年7月10日、対東北楽天ゴールデンイーグルス10回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、9回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上11人目
・500試合登板:2013年8月22日、対東北楽天ゴールデンイーグルス17回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回1失点 ※史上89人目

 

<その他の記録>
・12回延長継投ノーヒットノーラン:2006年4月15日、対福岡ソフトバンクホークス4回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、八木智哉(1 – 10回裏)・武田(11回裏)・マイケル中村(12回裏)で達成 ※史上初(継投による同記録は65年ぶり)
・3投手の継投によるノーヒットノーラン:同上 ※史上初
・延長戦の継投によるノーヒットノーラン:同上 ※史上初
・7年連続50試合登板:2006年 – 2012年 ※史上6人目
・月間11セーブ:2012年9月 ※パ・リーグタイ記録
・オールスターゲーム出場:6回(2006年 – 2009年、2011年、2012年)

 

【背番号】
・43(2003年の入団発表時のみ)
・54(2003年)
・21(2004年 – 2017年)

日本通運野球部 野球

2001年 - 2002年

投手

2001年の都市対抗に出場し、2勝を挙げる。準々決勝ではJTを相手に史上6人目の毎回奪三振を達成した。しかし三菱自動車岡崎との準決勝では、延長10回に投手陣が福川将和らに打ち込まれ敗退。この大会では若獅子賞を受賞した。

2002年の都市対抗でも活躍し、ドラフト会議では、日本ハムファイターズから4巡目で指名を受け、推定年俸1500万円という条件で入団した。背番号は当初43に内定していたが、後に入団するエンジェル・エチェバリアが着用を希望したことから、54に変更された。

駒澤大学硬式野球部 野球

1997年 4月 - 2000年

投手

東都大学野球リーグでは1年生の1997年春季リーグから登板し、同年秋季リーグでは優勝を経験。防御率1位となり最高殊勲選手に選ばれた。同年の第28回明治神宮野球大会では準決勝に進むが、近大に延長16回敗退。しかしその後はチームが低迷し、リーグ優勝には届かなかった。リーグ通算63試合に登板し、当時の駒澤大学の投手通算勝利数としては、新井富夫(日本通運の先輩にもあたる)の30勝、橋本時男の26勝に次ぎ、河原純一の23勝と並ぶ3位タイの23勝(18敗)。防御率2.27、232奪三振。駒大では3学年先輩に高橋尚成、2学年先輩に新井貴浩、1学年後輩に稲田直人と前田大輔と川岸強、2学年後輩に梵英心、3学年後輩に古谷拓哉がいた。

生光学園高等学校硬式野球部 野球

1994年 4月 - 1996年

投手

1995年夏の徳島大会で準優勝。同年秋は四国大会に進むが、1回戦で岩村明憲のいた宇和島東高に敗退し春の選抜出場を逸する形となった。翌1996年夏も徳島大会準々決勝で鴨島商に惜敗し、甲子園大会には出場できなかった。

生光学園中学校硬式野球部ヤング 野球

1991年 4月 - 1994年3月

中学校2年までは主に内野手を務め、投手として活躍し始めたのは3年生になってからだった。軟球でスライダーやカーブを投げられ、四国大会での優勝に貢献するなど活躍したが、投手にはこだわりをもっておらず誘いを受けていた強豪高へ進学し野手転向を考えていた。しかし、本人が留守中に生光学園高等学校の野球部長と監督が家を訪れ、父親を説得して同校への進学が決まった。その後は周囲に説得され、投手を継続した。

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