TEAMS FILE- キズナ繋がれ!みんなのチーム名鑑 -

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里村明衣子

サトムラ メイコ

メディア情報

◆2012〜2015年、クルクルリサイクル万代♪でおなじみ株式会社万代のCMに出演

GAORA プロ格KINGコラム『仙女道』執筆中

◆河北新報社 河北weekly『女子スポ』連載中

現在の所属 センダイガールズプロレスリング(プロレス) 生年月日 1979年11月17日
身長 157cm 体重 68kg
出身地 新潟県新潟市西区
デビュー 1995年4月15日 東京後楽園ホール(対加藤園子戦)
得意技 スコーピオ・ライジング、オーバーヘッドキック、デスバレーボム、スリーパーホールド
趣味 旅行【タイ・セドナ・NY・沖縄南城市が好き】、筋トレ、郵便局巡り、スーパーマーケット巡り、読書、舞台鑑賞
特技 世界で初めて【マスクタオル】を発明しました!
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スポーツ歴

センダイガールズプロレスリング プロレス

2005年 - 現在

2005年5月、地元新潟で行われたみちのくプロレスの大会で、再び新崎人生をパートナーにサスケ・天野組とミクストタッグマッチで対戦し勝利した。
そして、この日を最後に「更なる1歩を踏み出すため」無期限の休養に入るはずであったが、7月に新崎人生と共にセンダイガールズプロレスリングを設立。 住まいを仙台に移し、旗揚げ戦に向け、自身のトレーニング、試合、選手育成、広報活動と一人で何役もこなす日々を送る。

 

2006年、仙台市民の期待を受け、7月9日、遂に仙台サンプラザホールで旗揚げ戦を開催。超満員2,498人を動員した。宿敵アジャコングとの一騎打ちが実現し、20分を超える激闘の末、勝利を掴んだ。

2007年、各団体、ユニットなどからあらゆる強豪選手を招き、仙女初のトーナメント『戦場WAR』を3大会にわたり開催。7月の決勝まで勝ち上がるも、浜田文子の前に破れ、優勝を逃す。
10月、日向あずみのランニングニーが右目直撃、試合後救急車にて病院に搬送。「右眼窩底骨折」により この年、2度の手術を受け、長期欠場を強いられる。

 

2008年、2月に3度目の手術を敢行。復帰に向けリハビリをこなす傍ら、新人の育成にこれまで以上に力を入れ、指導者として道場に通う日々が続く。
10月、復帰前にタイ・バンコクにてジムに住み込みで単身ムエタイ修行に行く。
10月26日、Zepp Sendaiにて387日ぶりに再びリングに立つ。

 

2009年、4月後楽園ホール『YES WE CAN』トーナメントにて優勝。メキシコテレビマッチ出権を獲得。

5月、センダイガールズ・初の県外進出、新潟大会にて、メインイベントでアジャ・コングと10度目のシングル決戦で白星。

10月、リハビリ明けから、早々とムエタイ修行へ・・・(本人曰く、身体の状態から、人生で初めて引退がちらついたが、やってみないとわからない。とにかく自分の力を試してみる。) 帰国後、復帰を決意。

12月、Zepp Sendai大会にて復帰。対戦相手は日向あずみ。怪我前と変わらぬ闘志とスピードを見せつけ、不屈の精神を証明した。

 

2010年、6月メキシコ、AAATVマッチ出場

7月、Zepp Sendaiにて、第二回戦場トーナメント優勝。(決勝相手は田村欣子)

 

2011年3月、肉体改造を試み、12キロの減量に成功。
東日本大震災発生の直後にも関わらず、過酷なトレーニング、食事制限を乗り切った。

4月、ベースボールマガジン社発売の「かっこいいカラダ Vol.15」にて、見事な肉体が披露された。(パーソナルトレーナーは、ゴールドジム仙台・岩谷徹)

7月、Zepp Sendai震災復興チャリティーマッチ試合終了後、新崎人生社長より、里村に代表が引き継がれることを発表される。

8月、センダイガールズプロレスリングの代表に就任

10月、大阪大会初進出。7団体、フリー選手、総勢50名以上の選手を集めて女子プロレス団体対抗「Frashトーナメント」を企画・開催。平日開催で1835人超満員札止めの動員を記録した。

 

2012年5月、センダイガールズ勢、アメリカCHIKARAプロレス参戦。

9月、アメリカCHIKARAプロレス・キング・オブ・トリオトーナメント参戦。日本団体で最高の準決勝進出。

10月、仙女初の博多スターレーン大会開催。

11月、15年ぶりに地元・新潟市体育館進出。2000人満員を記録。テレビ新潟にて地上波放送。

12月、五年ぶりに仙台サンプラザ大会開催。ミヤギテレビにて地上波放送。

 

2013年11月、2回目の新潟市体育館進出。2000人満員を記録。テレビ新潟にて地上波放送。

12月、仙台サンプラザ大会開催。2013年度、東京スポーツ新聞社制定・プロレス大賞にて『女子プロレス大賞』授賞。

 

2014年8月、北朝鮮の平壌市内にて8月31日に開催されるアントニオ猪木主催のプロレス大会「インターナショナル・プロレスリング・フェスティバルin平壌」にて唯一女子プロレスの試合に抜擢。

 

2015年4月、プロレスデビュー20周年を迎える。

5月、女子プロレスラー初のボディービル大会(NPCJ GRAND PRIX SERIES)に出場。

6月、デビュー20周年を記念して日本人レスラー初となる記念切手を発売。
(日本郵便㈱東北支社より発売)

7月、新潟市体育館にて里村明衣子20周年記念大会開催。2000人満員を記録。スターダム後楽園大会で宝城カイリを下しワールド・オブ・スターダム王座を奪取。

8月、DDT両国大会で天龍源一郎と対戦。

10月、団体初のシングル・タッグのベルト新設。仙台サンプラザにて里村明衣子20周年記念大会開催。2200人満員を記録。初代シングルベルト王者をかけ浜田文子と対戦勝利、「センダイガールズ ワールドチャンピオンシップ」初代シングル王者となる。

11月、両国国技館での天龍源一郎引退興行に過去2度の対戦を買われ抜擢、女子プロレス唯一の参戦。

12月、週刊プロレス 女子プロレスグランプリ受賞。

 

2018年3月30日、イギリスの団体「ファイトクラブ・プロ」に初参戦し、女子で初めて男子団体のベルトを奪取する。

8月、WWEの女子トーナメントメイ・ヤング・クラシックに参戦。全試合、高評価を得て最高執行役員のトリプルHから称賛される。だが、10月24日放送の準決勝でトニー・ストームに敗れた[6]。

10月、ドイツの団体「WXW」に初参戦し、女子トーナメントで優勝する。

12月、2018年週刊プロレスグランプリにおいて、女子プロレスグランプリを獲得。

 

2019年1月、新日本プロレスの棚橋弘至と共に週刊プロレスの表紙を飾った。

3月21日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会において竹下幸之介&彰人&飯野雄貴組が保持するKO-D6人タッグ王座に挑戦し、勝利。(里村のパートナーはDASH・チサコ&橋本千紘)。 女性初のKO-D6人タッグ王者となる。

2019年5月よりWWE・NXTの臨時コーチを務めている。

8月28日、DDTプロレスリング新木場1stRING大会において、男色ディーノが保持するKO-D無差別級王座に挑戦し勝利。女性初のKO-D無差別級王者となる。

 

2021年1月、WWEとコーチ兼選手契約を結ぶ。仙女の代表取締役のため所属ではなく、参戦契約。国内では通常通り仙女を中心に活動するが、どちらもスポット参戦となる。

6月10日、ケイ・リー・レイを下し、NXT UK女子王座を獲得する。

12月2日のロンドン大会でザイヤ・ブルックサイドを下し、4度目のNXT UK女子王座防衛に成功。試合後、里村は自らのTwitterで、「誰が私を倒せるんだ?」と自信たっぷりに投稿した。

 

2022年8月23日、NXT UKの発展的解消に伴ってNXTに参戦。Worlds Collideにてマンディ・ローズ、ブレア・ダベンボートとの3way方式のNXT女子王座統一戦に挑むもブレアがローズに敗れ、王座を失った。

GAEA JAPAN プロレス

1995年 - 2005年

1995年、女子プロレス史上最年少の15歳で、旗揚げ戦デビュー。
AAAW Jrタッグ初代王座獲得、Jrオールスター戦MVP獲得等、早くから活躍。

 

1998年、4月に行われた、第2回ハイスパート600トーナメントで優勝。
早くも、師匠の長与千種から後継者指名を受ける。

 

1999年、第1回プレミアムリーグ優勝。アジャコングの持つAAAWシングル王座に初挑戦。

 

2000年、クラッシュ復活(クラッシュ2000)に伴い、チームクラッシュに加入。
9月、デビル雅美とのシングルマッチ。

 

2001年、旗揚げ6周年記念大会のメインでは、北斗晶とのケンカマッチを制す。
12月には、因縁のアジャコングからAAAWシングル王座を奪取。
生え抜き選手初の同タイトル戴冠であった。

 

2002年、フリーの浜田文子参戦表明には激しい睨み合い。
4月の北斗晶引退試合では、北斗のパー トナーを務める。
6月、永島千佳世とのタイトル戦でAAAWシングル王座から転落するも、10月にはライバル浜田文子と組んでAAAWタッグ王座獲得。ド キュメント映画「ガイアガールズ」出演。

 

2004年、4月の旗揚げ10周年記念大会にて浜田文子を破り、再びAAAWシングル王座に就く。
6月には、アジャコングを相手に防衛するも、7月の名古屋大会を最後に、古傷である腰の椎間板ヘルニアの手術により長期欠場に入る。

 

2005年、待望の復帰戦は、3月にディファ有明で行われた長与千種プロデュース「エンプロ」での ミクスドタッグマッチで、新崎人生とタッグを組み、Mensテイオー・輝優優組と対戦。
4月の旗揚げ10周年記念大会では、前回の雪辱に燃えるアジャコン グの猛攻に破れ、まさかのAAAWシングル王座転落。
同じく4月10日、GAEAJAPAN解散興行が行われ、ついに師匠である、長与千種との一騎打ちが実現。20分間を越える激闘の末、勝利を掴む。この試合は、長与の引退試合であり、師匠への最高の恩返しであった。

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【ヒストリー】

3才より柔道を始め、中学時代に女子柔道部を設立し、県大会で優勝する。

 

その頃、姉に新日本プロレス生観戦に連れて行かれ、プロレスの存在を知り「私がやりたいことは、これだ!」と直感。

以降プロレスラーを目指し、常に反対する両親の目に映る場所で独自のトレーニングを続けるという、実力行使で説得。

旗揚げ戦前の「GAEAJAPAN」の第一期オーディションを受け、トップ成績で合格。
中学卒業前であったが、特例で早期卒業し、年明け早々入門・入寮する。

 

【タイトル歴】
GAEA JAPAN
第7代、第12代AAAWシングル王座
初代、第8代AAAWジュニアヘビー級タッグ王座(パートナーは加藤園子→浜田文子)
ハイスパート600トーナメント優勝
プレミアムリーグ優勝

 

スターダム
第6代ワールド・オブ・スターダム王座

 

センダイガールズプロレスリング
初代センダイガールズワールドシングルチャンピオンシップ
戦場トーナメント優勝

 

DDTプロレスリング
第66代KO-D無差別級王座
第38代KO-D6人タッグ王座(パートナーはDASH・チサコ&橋本千紘)

 

プロレス大賞
女子プロレス大賞(2013年)

 

WWE
第4代NXT UK女子王座