2015年 - 2016年
2015年の第41回社会人野球日本選手権大会では、通算4試合の登板でチーム史上3回目の優勝へ貢献するとともに、通算投球回数12イニングでわずか1失点という好成績によって優秀選手賞を受賞した。 2016年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズから5巡目で指名。契約金4,000万円、年俸1,000万円(金額は推定)という条件で入団した[。背番号は39。指名の直後には、オリックス一軍の本拠地である京セラドーム大阪のマウンドを社会人日本選手権などで何度も立った経験を踏まえて、「京セラドームのマウンドは、固さ、角度とも、今まで自分が投げたことのある球場の中で一番投げやすい」との印象を述べていた。
2011年 4月 - 2014年
東京情報大学への進学後は、千葉県大学野球のリーグ戦で2年時の秋季に初勝利。3年時の春季には、エースに成長してリーグ最多の5勝を挙げるとともに、チームを優勝に導いた。
2008年 4月 - 2010年
八千代松陰高校で硬式野球部に所属。同部では控え投手で、公式戦には3年夏の全国高等学校野球選手権千葉大会に救援で1試合に登板しただけであった。この試合では勝利投手になったものの、対外試合への登板機会が限られていたことへの悔しさから、3年時の秋に東京情報大学硬式野球部のセレクションへ参加。