2015年 - 2016年
「JX-ENEOS野球部」時代。1年目から公式戦に出場。デビュー戦でサヨナラ打を放つなど通算26試合で打率.330を記録し、第86回都市対抗野球大会への出場に貢献するなど活躍。2年目には、3番打者として活躍。都市対抗大会では、チームは予選敗退したたが、東芝の補強選手として本大会出場。日本選手権は初戦敗退。
2011年 4月 - 2014年
1年秋から東京六大学リーグの公式戦に出場。3年時には春・秋の2季連続で三塁手としてベストナイン選出。大学選手権では打率5割を記録し首位打者。大学日本代表選考合宿に参加するも、練習試合中に左足甲に死球を受け離脱の為、代表入りはならず。4年時は春のリーグ戦で打率.163を記録するなど大不振。3年と4年時には明治神宮野球大会に出場し、いずれも準優勝。在学中には、リーグ通算71試合に出場、205打数47安打、打率.229、1本塁打、33打点、5盗塁、ベストナイン2回。
2008年 4月 - 2010年
1年時からベンチ入り、秋の中国大会で9打席連続安打を記録。2年春と3年春夏に甲子園球場の全国大会に出場。1番打者として出場した3年夏の選手権大会1回戦・仙台育英高戦では、1点ビハインドの9回裏2死1・2塁で迎えた打席で左中間に大飛球を放ったが、左翼手のダイビングキャッチで試合終了となり、サヨナラ勝利を逃す。高校通算29本塁打。1年後輩に白根尚貴がいた。