現在
2014年 - 2017年
2年時の春に関甲新学生野球のリーグ戦へ初めて登板すると、4勝を挙げて最優秀新人賞を獲得。在学中は、主に救援で起用された。同学年に島田海吏がいる。 2017年のNPB育成ドラフト会議で、阪神タイガースから1巡目で指名。支度金200万円、年俸300万円(金額は推定)という条件で、育成選手として入団した。背番号は121。ちなみに、育成ドラフト会議の前に開かれた支配下登録選手向けのドラフト会議では、島田も阪神から4巡目で指名。後に入団したため、石井と再びチームメイトになった。
2011年 - 2013年
桐生第一高校では、1年時からベンチ入り。3年春の群馬県大会で死球を受けて右手甲を骨折するが、夏の群馬大会2回戦で実戦に復帰したところ、5回3失点という内容でチームの勝利に貢献した。もっとも、次の3回戦で敗退するなど、在校中には春夏とも甲子園球場の全国大会と無縁であった。
2008年 - 2010年
佐野中学校軟式野球部
2005年 - 2007年
ソフトボール大会へ偶然参加したことをきっかけに、小学4年時から軟式野球へ転向した。ただし、転向当初は野球の知識がないまま、右利き用のグラブでプレー。その姿を見た指導者の勧めで左投げに変えたことが、大きな転機になったという。
2002年 - 2004年
三人兄弟の末子。6歳年上の長兄・3歳年上の次兄ともバスケットボールを習っていた影響で、自身も小学3年時まではバスケットボールに興じていた。