藤岡貴裕
フジオカ タカヒロジャイアンツアカデミー・コーチ
2008年 4月 - 2011年
投手
1年次の春からリーグ戦に出場。2009年秋から2010年春にかけて、39回連続無失点を記録。3年次には開幕から3試合連続で完封勝利。6勝を挙げてチームの優勝に貢献し大会MVPを受賞。続く第59回全日本大学野球選手権大会でも2完投の活躍で優勝に貢献し、最高殊勲選手賞と最優秀投手賞を受賞した。秋も最優秀投手賞を受賞し第5回世界大学野球選手権日本代表に選出された(背番号17)。
4年次から副将を務め、2011年東都大学春季リーグ戦では全11試合に登板(内、先発が7試合)5勝を挙げて2度目のMVPと最優秀投手賞を受賞。6月の第60回全日本大学野球選手権記念大会では2回戦で大会タイ記録の1試合19奪三振を達成[。決勝も延長10回を完投するなどの活躍を見せて東洋大の連覇に貢献し、2年連続のMVPを受賞。7月に米国で開催された第38回日米大野球選手権大会の大学日本代表に選出(背番号17)。第二戦で先発登板し、6回を被安打6、9奪三振。第五戦で2番手で登板、2回を被安打0、2奪三振。
2011年東都大学秋季リーグでは8試合に登板し、6勝1敗、防御率 0.93。2011年10月11日神宮球場にて行われた秋季リーグ第6週の対亜細亜大学戦では通算奪三振数300を記録して完投勝利を挙げ、東洋大学・高橋昭雄監督のリーグ史上2人目の通算500勝目を[5]、続く10月25日、最終週でリーグ新記録となる高橋昭雄監督通算502勝目となる試合で完投勝利を挙げた。2011年秋リーグでベストナイン、敢闘賞、最優秀投手賞受賞。通算成績は東都大学リーグ戦で49試合に登板27勝9敗、奪三振数323、防御率1.31。全国大会で登板試合11試合、投球回数59、奪三振数74、防御率0.92。野村祐輔(明大)、菅野智之(東海大)とともに「大学ビッグ3」と呼ばれ注目される。
2005年 4月 - 2007年
進学後に投手に転向。入学当初は身体も小さく球速は120km/h程度だったが、走り込みと筋力トレーニングの成果が出始め、2年時の第88回全国高等学校野球選手権大会では外野手の控え選手で出場。初戦の佐賀商業戦に外野手として途中出場し2打席ノーヒット。次戦の東洋大姫路戦では出場の機会なしでチームは敗退。この時の東洋大姫路で登板したピッチャーが、のちに東洋大学で1学年先輩となる乾真大。
翌年の第79回選抜高等学校野球大会は外野手兼控え投手(背番号9)として出場し、初戦で都城泉ヶ丘と対戦し敗退。9回で被安打6、奪三振数8、自責点2。3年時には球速140キロの直球を武器に県内屈指の左腕に成長、エースとして臨んだ夏の群馬大会は決勝戦で前橋商業高に敗れたものの、得意の直球で勝負を挑み、前橋商業の樺沢健主将(のち東京農業大学→トヨタ自動車)に勝ち越しの本塁打を打たれたことに対して「悔いはない」と回答。
2002年 - 2004年
子持中学校在学中は野手としてプレー、2年時には一塁手として出場し秋の県大会ベスト8。
1997年 - 2001年
長尾イースターズ