99 フランミル・レイエス
外野手
現在の所属 | 北海道日本ハムファイターズ(野球) | 生年月日 | 1995年7月7日 |
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身長 | 196cm | 体重 | 120kg |
出身地 | ドミニカ共和国 サン・クリストバル州 パレンケ | ||
投/打 | 右/右 | ||
出身校 | Liceo Aliro Paulino 高校(ドミニカ共和国 リセオ・アリーロ・パウリーノ高校) |
2024年 1月 - 現在
外野手
2024年1月8日、契約合意発表
本人コメント:「はじめに、日本で野球を続けられる機会をくださった北海道日本ハムファイターズへ心より感謝いたします。また、私の人生において、新たな国へ視野を広げられることをとても楽しみにしています。子どもの頃から今日まで継続していることでもある、毎日 100%の力でプレーすることを約束いたします。ファイターズでの目標として、できる限り多くの試合に勝利し、日本一の栄冠を北海道へ持ってくることができるよう尽力いたします」
新庄監督コメント:「最近の外国人選手の中では、一番スウィングスピードが速いんじゃないかな。とにかくパワーが凄いね。エスコンだと、サウナに入っている人たちが彼のホームランボールをキャッチするんじゃない? 力まず軽くミートするだけで、逆方向に放り込んだ映像を何回も見たからね。しかも追い込まれてから!! 気になるのは三振率が高いことだけど、エスコンは球場が広くないし、軽く振っても入るんだ、というコツを掴んでくれたら三振
は減るし、率も上がってくる。今からラインナップを考えるのが楽しみになってきたばい」
2023年 - 2023年
外野手
2023年2月15日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[12]。3月27日に開幕ロースターに選出された。開幕後は19試合に出場したが、打率.186、2本塁打、7打点という成績に終わり、5月8日にDFAとなり、5月11日にFAとなった。
2019年 7月 - 2022年8月
インディアンス・ガーディアンズ時代
2019年7月30日に三角トレードの一角として、同僚のローガン・アレンやビクター・ノバ、シンシナティ・レッズのヤシエル・プイグらと共にクリーブランド・インディアンスへ移籍した。移籍後は10本塁打を放ち、パドレス時代の27本塁打を含めて年間37本塁打を記録した。
2021年は5月下旬から約1か月の離脱があったが、30本塁打を記録した。
2022年8月6日にDFAとなった。
2011年 - 2019年
外野手
2011年にサンディエゴ・パドレスと契約してプロ入り。
2012年、傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・パドレスでプロデビュー。67試合に出場して打率.267、4本塁打、37打点、12盗塁を記録した。
2013年はルーキー級アリゾナリーグ・パドレスとA-級ユージーン・エメラルズでプレーし、2球団合計で57試合に出場して打率.292、4本塁打、34打点、5盗塁を記録した。
2014年はA級フォートウェイン・ティンキャップスでプレーし、128試合に出場して打率.248、11本塁打、59打点、1盗塁を記録した。
2015年もA級フォートウェインでプレーし、123試合に出場して打率.255、8本塁打、62打点、10盗塁を記録した。
2016年はA+級レイクエルシノア・ストームでプレーし、130試合に出場して打率.278、16本塁打、83打点、2盗塁の成績を残した。
2017年はAA級サンアントニオ・ミッションズでプレーし、135試合に出場して打率.258、25本塁打、102打点、4盗塁を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、ピオリア・ハベリーナズに所属した。
2018年は開幕からAAA級エル・パソ・チワワズでプレーした。外野陣の相次ぐ故障により、5月14日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした。同日のコロラド・ロッキーズ戦にて「6番・右翼手」で先発出場してメジャーデビュー(この試合は4打数無安打)。翌日に初安打、21日のワシントン・ナショナルズ戦で初本塁打を記録した。同31日にマイナーに戻った。7月10日に再昇格したが、代打出場のみで再降格した。8月初めに再昇格してからは出場機会も増え、成績も向上していった。8月30日のロッキーズ戦ではサヨナラ本塁打を放った。最終的に87試合に出場して打率.280・16本塁打・31打点の成績を残した。オフに右ひざの肉離れを治すために手術を受けた。
2019年は開幕をメジャーで迎え、正右翼手として起用された。前半戦だけで25本塁打を放った。
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