伝統の技を駆使したスピードフットボール
1934年12月に立教大学と共に誕生した日本フットボール界のルーツ校の一つ。
米国日系二世のドロー武田コーチ指導下、戦前9季で5度優勝。
甲子園ボウル設立以前の王者に相応しい戦績だった。花岡惇監督時代(39年卒・47~61年)は、米最新戦術がチーム作りの根幹を成し、野崎和夫監督(55年卒・62~99年=現総監督)以降は、「合理性」の伝統にマルチブル攻撃が続々と登場。
一見派手な戦術も、基礎技術の反復練習によって鍛え上げられたスピードと技に支えられていた。そのスタイルは、現在も受け継がれている。
甲子園ボウルにはこれまで5度出場。
終戦直後の第2回大会(48年)進出はロングパス攻撃が原動力だった。
68年(21年ぶり2度目)の出場を果たした頃は、オプション攻撃が看板プレーとなり近代明治攻撃の原型が完成。
75年に7年ぶり3度目の出場。翌76年2年連続甲子園出場。
85年5度目の登場では関学と史上に残る激戦を演じたが、終了プレーのFG失敗で46対48と敗れて初優勝にはあと一歩届かなかった。
設立年月日 | 1934年 12月 | ||
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グランド | 東京都世田谷区八幡山2-21-10 | ||
チームカラー | ゴールド(ヘルメット) /ネイビー(ジャージ) /イエロー(パンツ) | ||
チーム名由来 | ギリシャ神話に登場する鷲の頭と獅子の胴体に翼を持つ伝説上の怪獣のこと。アポロの聖獣と考えられた。 |