2024年 - 現在
内野手
2023年11月19日、東北楽天ゴールデンイーグルスに育成選手として入団することが発表された。背番号は005。推定年俸は800万円。翌20日に楽天モバイルパークで入団会見が行われた。
2024年3月12日、支配下登録されることが発表された。背番号は42。
2023年 - 2023年
内野手
2022年11月2日に、佐藤龍世とのトレードによる北海道日本ハムファイターズへの移籍が発表された。
2023年2月14日に全内視鏡下腰椎椎間板ヘルニア摘出術の手術を受け、この年の一軍出場は29試合にとどまった。オフの10月29日に戦力外通告を受けた。
2015年 - 2022年
内野手
2015年、2016年は一軍での試合出場はなかった。
2017年6月30日に一軍初昇格となったが、先発投手との兼ね合いにより、3日で出場選手登録を外れた。7月13日に草薙球場で行われたフレッシュオールスターゲーム2017では、イースタン選抜として出場した。最終的に、二軍では106試合に出場し、6本塁打、37打点、6盗塁、打率.245の成績を残した[11]。11月25日から台湾で開催された2017アジアウインターベースボールリーグにおいて、NPBウエスタン選抜に選出された。
2018年、6月16日に中日ドラゴンズ戦(メットライフドーム)で代打として出場し、プロ初出場を果たした。9月19日、「8番・三塁手」で初先発出場した北海道日本ハムファイターズ戦(メットライフドーム)で、プロ初安打初本塁打を達成。
2019年は前年と比べて出場機会は減り、一軍出場は4試合であった。
2020年は二軍で打率.288、OPS.858と打力の向上が見られたが、一軍出場は8試合に留まった。
2021年は初の開幕一軍入りを果たす。外崎修汰と山野辺翔が共に怪我により長期離脱すると、二塁でのスタメン出場が増加。山川穂高が一軍復帰してからは呉念庭と併用される形になったが、源田壮亮が新型コロナウイルスへの感染により離脱すると遊撃でのスタメン出場が増加した。源田の復帰後は三塁(中村剛也)の守備固めでの出場が中心となり、この年は一塁を3試合、二塁を39試合、三塁を24試合、遊撃を31試合を守り、98試合に出場した。
2022年は例年通り、松田宣浩他数選手と共に熊本での自主トレに参加した。その途中で新型コロナウイルスの集団感染に見舞われたために出遅れたが、2月のキャンプはA班でスタート。オープン戦は11試合に出場し、9打数2安打・打率.222・失策0の成績で、開幕一軍となる。開幕当初はベンチスタートが続くが、4月2日に外崎修汰の代打としてシーズン初打席に立ち左前適時打、翌4月3日はシーズン初となる7番・二塁手で先発出場し、2月26日の練習試合から打者24名を無安打に抑えられていた佐々木朗希からチーム初となる右前安打を記録。4月10日、6番・三塁手としてシーズン2度目の先発出場し、5回表無死一・二塁の守備で甲斐拓也の放った三塁線へのゴロを捕ると、すかさず三塁ベースを踏み二塁へ送球。二塁手の外崎修汰が一塁へ送球し、トリプルプレーを完成させた。
2012年 3月 - 2014年
主将・内野手
1年生の秋からレギュラー。3年時主将。その年の第96回全国高等学校野球選手権大会・佐賀大会の佐賀県立佐賀北高等学校との決勝戦では安打を放ち同点のホームを踏んだ他、投手としてリリーフ登板もしたが、延長戦の末に敗れた。
2014年10月23日に行われたプロ野球ドラフト会議にて埼玉西武ライオンズから5位指名を受け、契約金2500万円、年俸600万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は52。
2010年 - 2011年
小学校2年生の時に兄の影響で野球を始めた。佐賀市立鍋島中学校に進むと、2年生の時から硬式の「藤本ベースボールクラブ」でプレーした。同チーム出身者のプロ入りは堤裕貴以来2人目。
3年生時にジャイアンツカップに出場した。(1回戦敗退)