TEAMS FILE- キズナ繋がれ!みんなのチーム名鑑 -

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20 上原健太

ウエハラ ケンタ

投手

現在の所属 北海道日本ハムファイターズ(野球) 生年月日 1994年3月29日
身長 191cm 体重 90kg
投/打 左/左
出身地 沖縄県うるま市
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スポーツ歴

北海道日本ハムファイターズ 野球

2016年 - 現在

投手

2016年は春季キャンプを一軍でスタートしたが、2月20日の紅白戦では1/3回を8失点の大乱調。開幕を二軍で迎えると、二軍でも好不調の波が激しい投球が続き、イースタン・リーグでは18試合の登板で1勝4敗・防御率5.63という成績だった。同リーグ全日程終了後の9月30日に出場選手登録となり、同日の千葉ロッテマリーンズ戦でプロ初登板。1イニングを1安打1奪三振無失点に抑えたが、ルーキーイヤーの一軍登板はこの1試合のみであった。オフに100万円減となる推定年俸1200万円で契約を更改。

 

2017年も春季キャンプを一軍でスタートしながらも、開幕は二軍で迎えた。7月3日に中継ぎとして出場選手登録をされ、3試合に登板するも同13日に登録抹消。7月23日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ初先発となったが、4回0/3を4失点でプロ初黒星を喫した。この試合も含めて4戦4敗と苦しみながらも先発ローテーションを回り、8月20日の西武戦では3回表に左人差し指のマメが破れるアクシデントに見舞われながらも、5回3安打5四球3奪三振無失点という内容でプロ初勝利を挙げた。ただ、同23日に出場選手登録を抹消されて以降は1試合の先発登板のみにとどまり、この年は9試合(6先発)の登板で1勝5敗・防御率6.23という成績であった。オフに現状維持となる推定年俸1200万円で契約を更改。

 

2018年は中継ぎとして自身初の開幕一軍入りを果たしたが、4月21日に出場選手登録を抹消。5月26日の西武戦でシーズン初先発となり、勝敗は付かなかったものの、5回2失点と試合を作った。翌27日に再び登録抹消となったが、6月18日の広島東洋カープ戦に先発登板すると、投げては5回3安打無四死球5奪三振1失点の好投でシーズン初勝利を挙げ、第2打席では福井優也からプロ初安打初本塁打となるソロホームランを打った。続く同27日の福岡ソフトバンクホークス戦は沖縄セルラースタジアム那覇で開催され、初の凱旋登板となり、5回4安打1四球4奪三振1失点という内容で勝敗は付かなかった。その後、先発予定であった7月5日の西武戦が雨天中止となると、翌6日に出場選手登録を抹消され、二軍調整が長らく続いた。ただ、9月27日のオリックス・バファローズ戦で3か月ぶりの一軍先発登板となり、5回0/3を無失点の好投で勝利投手となると、この試合も含めてシーズン最終盤では3戦3勝を記録。この年は10試合(6先発)の登板で4勝0敗・防御率3.13という成績を残し、オフに500万円増となる推定年俸1700万円で契約を更改。

 

2021年は首の痛みなどで開幕から長らく二軍調整が続いたが、9月9日に出場選手登録をされると、中継ぎとして6試合連続無失点を記録。ただ、その後は調子を落とし、10月18日に出場選手登録を抹消され、そのまま二軍でシーズンを終えた。この年は出遅れが響き、11試合のリリーフ登板で防御率3.97という成績にとどまった。秋季キャンプ中の11月14日に、この年限りで退任となった栗山英樹監督からの後押しと稲葉篤紀新GMからの打診によって、翌年から二刀流に挑戦することが決定。12月2日の契約更改では100万円減となる推定年俸1600万円でサインした。

 

2023年は開幕前のオープン戦や二軍戦で先発として結果を残した。エスコンフィールドHOKKAIDOの開業を祝い、他カードより1日早く開幕戦が行われ、開幕投手の加藤貴之が中6日で開幕6試合目に先発できる変則日程であったこともあり、上原は事実上の開幕ローテーション6番手として、開幕7試合目のオリックス戦でシーズン初登板初先発。初回と2回に守備の乱れから失点を喫し、5回3失点(自責点2)で敗戦投手。その後の2先発でも結果を残せず、4月27日に出場選手登録を抹消。抹消後はフォークの握り方を変え、決め球として使えるよう調整し、交流戦開幕戦となった5月30日のヤクルト戦に先発すると、5安打4四球とランナーを背負いながらも、6回7奪三振1失点と好投し、シーズン初勝利。6月19日の横浜DeNAベイスターズ戦では「9番・投手」で先発出場し、5回1/3を1失点で勝敗は付かなかったものの、5回表の第2打席ではバスターでレフト前にシーズン初安打を放った。続く同28日の西武戦は沖縄セルラースタジアム那覇で開催され、5年ぶりに凱旋登板を果たすと、右打者にはチェンジアップ、左打者にはフォークを効果的に使い、自己最多タイの9奪三振。7回4安打1四球無失点と好投したが、打線の援護が無く、勝敗つかず。登板機会の都合で翌6月29日に出場選手登録を抹消されたが、7月9日に再登録。同日のロッテ戦は、6月19日に中日ドラゴンズからトレードで移籍してきた山本拓実と郡司裕也をこの試合で先発バッテリーとして起用することを事前に新庄剛志監督が公言しており、上原は2番手としてシーズン初のリリーフ登板となり、4イニングを1失点に抑えた。その後は再び先発ローテーションを回ったが、8月2日のロッテ戦では試合序盤に野手が3失策、さらに3回裏無死満塁から山口航輝の打球が左手に直撃して緊急降板。2回0/3を5失点(自責点0)で勝敗は付かなかったものの、左手中指の打撲で翌3日に出場選手登録を抹消。最短10日で一軍復帰し、8月13日のソフトバンク戦に先発すると、状態が悪いながらも6回2失点にまとめ、5月30日以来の白星となるシーズン2勝目を挙げた。続く8月20日のオリックス戦では完投・完封こそ記録されなかったものの、4安打無失点で9イニングを投げきり、本人は「9回投げきったことが僕の人生で初めて」と話した。その後はシーズン終了まで先発ローテーションを守り、この年は19試合(18先発)の登板で4勝7敗・防御率2.75を記録。

明治大学硬式野球部 野球

2013年 4月 - 2015年

投手

1年春からリーグ戦に出場。2年時は主に中継ぎとして登板し、春秋連続でリーグ制覇に貢献。3年秋には防御率0.96で最優秀防御率のタイトルを獲得。4年夏にはユニバーシアード大会に出場し、優勝に貢献。リーグ通算57試合に登板、14勝9敗、防御率2.14、172奪三振を記録。

 

2015年10月22日に行われたドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから1位指名を受け、11月12日に契約金9000万円、年俸1300万円で契約を合意。背番号は20。奇しくも高校の先輩有原が前年日本ハムのドラフト1位で入団しており、2年連続広陵高校卒の投手がドラフト1位となった。

広陵高等学校硬式野球部 野球

2010年 4月 - 2012年

投手

1年夏から控え投手としてベンチ入りする。

2年夏にチームはエース有原航平を擁し第92回全国選手権に出場したものの登板することなく、聖光学院高校の歳内宏明に抑えられ、0-1でチームは2回戦敗退。秋からエースとなる。2年秋は準決勝で敗れ、3位決定戦にも敗れ、4位に終わり、

3年春は広島県大会準決勝で秋に3位決定戦で敗れた総合技術に敗れ、夏は3回戦で敗退し、甲子園に出場することなく明治大学に進学する。高校時代1学年上には前述有原と福田周平、同学年には吉持亮汰、1学年下には佐野恵太がおり、福田と佐野は大学でもチームメイトとなる。

うるまボーイズ 野球

2007年 - 2009年

投手

「オールうるまボーイズ」時代

天願フェニックス 野球

2004年 - 2006年

小学4年生から野球を始める。

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