TEAMS FILE- キズナ繋がれ!みんなのチーム名鑑 -

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26 田中正義

タナカ セイギ

投手

現在の所属 北海道日本ハムファイターズ(野球) 生年月日 1994年7月19日
身長 188cm 体重 93kg
投/打 右/右
出身地 神奈川県横浜市鶴見区
出身中学校 横浜市立末吉中学校
出身小学校 横浜市立上末吉小学校
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スポーツ歴

北海道日本ハムファイターズ 野球

2023年 - 現在

投手

2023年1月11日に北海道日本ハムファイターズは、海外FA権を行使してソフトバンクへ移籍した近藤健介の人的補償として、田中を獲得したことを発表。高校・大学で7年間同級生であった池田隆英と再びチームメイトとなった。同15日に入団会見が行われ、背番号は26に決定。なお、チームには同姓の田中瑛斗が所属しているため、報道上の表記およびスコアボード上の表記は「田中正」となる。

春季キャンプを一軍でスタートし、当初は先発として調整していたが、実戦では変化球の制球に苦しむ場面が目立ち、オープン戦期間中にリリーフへ配置転換。中継ぎとして開幕を一軍で迎え、楽天との開幕戦で移籍後初登板を果たし、1イニングを3者凡退に抑えた。6試合の登板で4ホールド・防御率1.50を記録すると、抑えの石川直也の離脱があり、守護神に指名された。初のセーブ機会となった4月21日の楽天戦では逆転サヨナラ負けを喫したものの、同26日のオリックス戦でプロ初セーブを挙げた。5月7日の楽天戦では同点の9回表に登板し、3者連続奪三振に抑えると、直後の攻撃でチームがサヨナラ勝ちを収めたことで、田中にプロ初勝利が記録された。その後も守護神の役割を全うし、7月4日終了時点で29試合に登板して2勝1敗7ホールド14セーブ・防御率2.25を記録すると、翌5日に監督推薦で自身初のオールスターに選出。自身の誕生日でもある7月19日の球宴第1戦に登板し、対戦を熱望していた宮﨑敏郎にソロホームランを打たれて1回1失点だったものの、笑顔でベンチに引き揚げた。
47試合に登板、46回1/3で奪三振46、自責点18、2勝3敗9ホールド、HP10、25セーブ、WHIP1.21。

福岡ソフトバンクホークス 野球

2017年 - 2022年

投手

2017年は春季キャンプをA組でスタートしたが、2月23日の紅白戦での登板以降は疲労の蓄積により、実戦登板から離れることとなり、開幕を二軍で迎えた。右肩には違和感があり、3月中旬から1か月半ほどノースロー調整が続いた。6月23日の西部ガスとの三軍戦で実戦復帰したが、同29日に右肩の張りを訴えてキャッチボールを回避し、ウエスタン・リーグ公式戦での登板予定が延期。再び実戦登板から離れることとなり、8月23日の三軍戦で実戦復帰。9月23日、ウエスタン・リーグの阪神タイガース戦で公式戦初登板となり、3回2安打2失点であった。ルーキーイヤーの一軍登板は無く、二軍でも1試合の登板にとどまり、オフに50万円減となる推定年俸1450万円で契約を更改。
2022年は先発に挑戦し、春季キャンプをA組でスタートすると、紅白戦や対外試合で好投を続けた。3月20日のオープン戦では田中が先発し、開幕ローテーション6番手を争う大関友久・杉山一樹も登板予定と『最終テスト』が行われる1戦となったが、4回裏の投球練習中に右肩の違和感を訴えて緊急降板。その後、二軍再調整が決定し、3月29日にはリハビリ組に合流した。7月17日の三軍戦で実戦復帰すると、8月13日にリリーフとして出場選手登録。ファームでは連投テストを行っておらず、藤本博史監督が「1軍の打者相手にどれだけ投げられるか。1イニングを5試合で2度ぐらい投げられたらいいかな」と話したように『テスト昇格』であったものの、翌14日のオリックス戦でシーズン初登板となり、1回2奪三振無失点と好投すると、藤本監督は「ひょっとしたら(一軍に)残るかも分からない」と方針転換を示唆。この試合も含めて3試合に登板し、計3イニングを無安打4奪三振無失点に抑えていたが、8月20日のスクリーニング検査にて、新型コロナウイルスの陽性疑いとなり、翌21日に特例2022で出場選手登録を抹消され、8月22日には新型コロナウイルス陽性判定を受けた。9月10日の二軍戦で実戦復帰し、同14日に一軍復帰を果たした。この年は5試合の登板で0勝0敗1ホールド・防御率0.00という成績であり、オフに100万円減となる推定年俸1200万円で契約を更改した。

創価大学硬式野球部 野球

2013年 4月 - 2016年

投手

創価大学への進学後は本格的に投手へ転向し、1年時はフォーム作りとトレーニングに専念。
2年春、東京新大学リーグの共栄大戦で公式戦初登板となり、最速151km/hを計測して11奪三振完封勝利を挙げた。ベスト4に進出した全日本大学野球選手権では特別賞を受賞。2年秋には明治神宮大会に出場し、ベスト4に入った。
3年時はユニバーシアード代表に選出され、6月29日のNPB選抜との壮行試合で7者連続奪三振を記録し、大きな注目を集めた。3年秋のリーグ戦ではノーヒットノーランを記録。2016年3月に開催された侍ジャパン強化試合の代表メンバーとしてオファーを受けていたが、右肩の違和感で辞退。
4年春のオープン戦には登板し、杏林大との春季リーグ開幕戦に先発。7回に失点を喫し、3年春から継続していた『リーグ戦での連続イニング無失点』が56回で止まった。続く共栄大とのリーグ戦での登板前、ブルペンでの投球時に右手中指の爪を割ってしまい、2回を投げ終えたところで降板。その後は右肩の違和感で登板が無く、4年春のリーグ戦は2試合の登板に終わった。7月中旬には右足の太ももの裏の肉離れを発症したが、痛めていた右肩は回復し、4年秋のリーグ戦で155km/hを計測。10月3日にプロ志望届を正式に提出した。

10月20日に開催されたドラフト会議では、5球団から1位指名を受け、抽選の結果、ソフトバンクが交渉権を獲得した。11月19日に契約金1億円プラス出来高払い5000万円・年俸1500万円(金額は推定)で入団に合意。同22日に新人選手入団会見が行われ、背番号は25と発表された。球場で表示される登録名は「田中正義」。

創価高等学校硬式野球部 野球

2010年 4月 - 2012年

主将・投手・外野手

1年夏に背番号1を背負い、工学院大附との5回戦で公式戦初登板となり、6回無失点に抑えた。ただ、早稲田実業との準々決勝では、四球からピンチを招いて適時打を許す投球内容であり、3回途中で降板してチームも敗れた。1年冬に右肩を痛めて野手へ転向し、2年秋にはチームの主将に就任。3年夏は『4番・センター』を務めた一方、投手としてもスタンバイ。実践学園との4回戦では打者として2点本塁打を放つと、7回にエースの池田隆英が負傷降板して緊急登板となり、リードを守り抜いて投打に活躍した。同大会ではベスト4、甲子園出場経験は無し。

川崎中央リトルシニア 野球

2007年 - 2009年

駒岡ジュニアーズ 野球

2001年 - 2006年

投手

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