TEAMS FILE- キズナ繋がれ!みんなのチーム名鑑 -

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22 杉浦稔大

スギウラ トシヒロ

投手

現在の所属 北海道日本ハムファイターズ(野球) 生年月日 1992年2月25日
身長 190cm 体重 90kg
投/打 右/右
出身地 北海道帯広市
出身小学校 帯広市立広陽小学校
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スポーツ歴

北海道日本ハムファイターズ 野球

2017年 7月 - 現在

投手

2017年7月24日、屋宜照悟との交換トレードで北海道日本ハムファイターズヘ移籍することが発表された。背番号は【57】。移籍後は右肩痛のリハビリに専念したため、実戦登板がなく、オフに160万円減となる推定年俸1460万円で契約を更改した。
2018年は7月21日のソフトバンク戦で移籍後初登板初先発を果たし、5回を無安打無失点に抑え、移籍後初勝利。この年のシーズンは一軍で3試合に先発し、2勝0敗・防御率2.84を記録。オフに160万円増となる推定年俸1600万円で契約を更改。
2021年の春季キャンプで栗山英樹監督から新守護神に指名、開幕から抑えとして起用されていたが、不安定な投球が目立ち、4月29日に登録抹消。5月11日に再び一軍へ昇格し、前半戦終了時点でリーグ3位の16セーブを記録。後半戦が開幕した8月は疲労で調子を落とし、10日間の登録抹消を挟んだ後は復調し、大きな故障もなく、シーズンを完走した。一時は8回を務めたこともあったが、基本的には守護神として起用され、56試合の登板で3勝3敗1ホールド28セーブ・防御率2.96を記録したものの、要所で本塁打を打たれる場面が目立った。オフに背番号が【22】へ変更されることが発表され、3300万円増となる推定年俸7000万円で契約更改。

東京ヤクルトスワローズ 野球

2014年 - 2017年7月

投手

2014年は春季キャンプを一軍で迎えたが登板予定だった2月25日の練習試合の前に右肘を痛め、以降は二軍で調整を続けるも、3月14日に受けた検査で右肘の靭帯断裂が判明。手術は受けずにリハビリに励み、7月21日の二軍戦で実戦復帰し、9月10日の横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初登板初先発。6回2失点と好投したが、打線の援護に恵まれず敗戦投手。9月24日の広島東洋カープ戦ではソロ本塁打3発で3失点を喫しながらも5回を投げ切り、プロ初勝利。ルーキーイヤーは一軍で4試合に先発登板し、2勝2敗・防御率3.52を記録。オフに100万円増となる推定年俸1600万円で契約更改。

2017年の元日に元モーニング娘。5期メンバーでテレビ東京アナウンサーの紺野あさ美と結婚。開幕を二軍で迎え、4月2日にリリーフとして一軍へ昇格するも[36]、同29日に登録抹消。その後は右肩痛もあり、一軍昇格がなく、前半戦を終え、5試合の登板で0勝1敗・防御率3.86。

國學院大學硬式野球部 野球

2010年 4月 - 2013年

投手

竹田利秋(1年の春季までは監督、後に総監督)の指導を受ける。2年の春季リーグ戦から試合に出場、チームはリーグ戦優勝の翌季に最下位・入れ替え戦にも敗北。
2年秋季は出番がなかったが、
3年春季からエース格となり、2部で3勝、2完封を記録し、2部優勝に貢献。日本大学との入れ替え戦では國學院が1戦目敗戦の後、2戦目に先発登板し、完投勝利。1勝1敗のタイに持ち込んだ3戦目は4-4の同点で迎えた7回表の途中からリリーフ登板。7回裏にチームが勝ち越し、8回表に1点差まで迫られたが後続を断ち、接戦を逃げ切り勝利投手となり、3季ぶりの1部復帰。
1部復帰した3年秋季は1部の投手の中で最長となる48回2/3イニングを投げ、2完封を含む4勝を挙げた。この頃には日々のトレーニングにより球速が高校時代と比較し、10キロ以上もアップ。長いリーチを活かしたゆったりとしたフォームで、140km/h台後半のキレのある直球と多彩な変化球で注目を浴び、ドラフト1位候補の逸材と評された。
4年春季は怪我もあり成績を落としたが、リーグ戦後には第39回日米大学野球選手権大会日本代表に選出されている。
4年秋季には柿田竜吾と左右のWエースを形成。リーグ戦後半まで亜細亜大学との熾烈な優勝争いを演じ、チームの躍進と2位浮上に貢献した。東都大学野球1部リーグでは通算22試合に登板し、12勝7敗、防御率1.84。

2013年度ドラフト会議にてそれぞれ松井裕樹、大瀬良大地を外した福岡ソフトバンクホークス、東京ヤクルトスワローズの2球団から1位指名を受け、抽選の末、ヤクルトが交渉権を獲得。12月2日に契約金1億円プラス出来高払い、年俸1500万円(金額は推定)で契約。背番号は18。

帯広大谷高等学校硬式野球部 野球

2007年 4月 - 2009年

投手

3年時には決勝まで進んだ。しかし、決勝で後に大学でチームメイトとなる柿田竜吾擁する旭川大学高等学校に敗れ、甲子園出場ならず。その後、プロ志望届を提出したが指名漏れ。

野球

2004年 - 2006年

帯広市立西陵中学校

中学時代は軟式野球部に所属。野球と並行して中学時代までアイスホッケー選手としても活躍。

野球

2000年 - 2003年

啓西マリナーズ

小学校3年生から野球を始めた。

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