2015年 4月 - 2018年
大学の1学年先輩に、自身と同じ右投手の椎野新がいる。 国士舘大学では、2年時に東都大学野球の春季リーグ戦へ登板。後に右肘の疲労骨折が判明したため、手術を受けてからは、実戦を離れてリハビリに専念した[7]。リーグ戦での登板はわずか2試合(通算4イニング)で、3年時以降は練習試合にも登板していなかったため、4年時(2018年)のNPBドラフト会議で指名から再び漏れた場合には大学で野球を止めることを考えていたという。しかし実際には、重田の潜在能力を高く評価していた福岡ソフトバンクホークスが、育成ドラフト会議の3巡目で重田を指名。指名後に、支度金300万円、年俸400万円(金額は推定)という条件で育成選手として入団した[9]。背番号は138で、この年から支配下登録選手として在籍している椎野と再びチームメイトになった。
2012年 4月 - 2014年
千葉英和高校時代、1年時の夏から公式戦に登板したものの、甲子園球場での全国大会とは無縁であった。3年時だった2014年夏の第96回選手権千葉大会では、敬愛学園高校との4回戦に救援投手として4回を投げたが、チームは0 - 3というスコアで完封負け。大会後にプロ志望届を日本学生野球協会に提出したが、NPBドラフト会議でどの球団からも指名されなかった[6]ため、卒業後に国士舘大学へ進学した。
2009年 4月 - 2011年
八千代市立村上東中学校への在学中に、校内の軟式野球部へ所属。 中学校野球部3年次には主将を務め、チームを牽引した。3年時の夏の大会は主にポジションはセカンドだった。八千代市大会優勝、千葉県大会優勝、関東大会準優勝、全国大会出場を果たした。 千葉県大会の決勝戦、対昭和中は先発投手として登板した。