2017年 4月 - 2019年
1年春からベンチ入りし2年秋からエース。1年夏、2年夏、3年春と3度の甲子園大会出場を果たし、奥川恭伸(星稜)、佐々木朗希(大船渡)、西純矢(創志学園)とともに「高校BIG4」と呼ばれた一方で、制球難に悩まされた影響で地方大会を含め出場各大会で芳しい結果を残すことができず、一時は背番号1の剥奪も経験。3年春の選抜では初戦の明豊戦に先発するも3回途中5失点で降板(結果は敗戦)。3年夏の神奈川大会では、準々決勝の相模原戦にリリーフ登板するも1回2/3で3失点し逆転負けを喫した。横浜が夏の県大会で公立校に敗れるのは1997年の横浜商業戦以来の出来事であった。 2019年のNPBドラフト会議にて、阪神タイガースから3巡目指名を受けた。契約金5000万円、年俸600万円で仮契約(金額は推定)。背番号は37。
2014年 - 2016年
匝瑳リトルシニア 3年時にはU-15日本代表入りし大会最優秀防御率を受賞した他、最速140km/h超の「スーパー中学生」として注目を浴びた。
2010年 - 2013年
「須賀スポーツ少年団」に入団し野球を始め、6年時に千葉ロッテマリーンズジュニアに選出された。