大塚 光二
オオツカ コウジ
現在の所属 | 東北福祉大学硬式野球部(野球) | 生年月日 | 1967年8月26日 |
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身長 | 180cm | 体重 | 78kg |
出身地 | 兵庫県神戸市垂水区 | ||
投/打 | 右/左 | ||
日本学生野球連盟・学生野球資格回復認定日 | 2015年1月30日 | ||
その他コーチ歴 | 一球幸魂倶楽部 |
2015年 7月 - 現在
2015年7月27日付で、東北福祉大硬式野球部時代の1年先輩・山路哲生から、同部の監督を引き継いだ(山路は総監督に就任)。なお、チームは大塚の監督就任を機に、仙台六大学秋季リーグで2季振りに優勝[8]。明治神宮野球大会・大学の部[9]にも「東北3連盟代表」として4年振りに出場したが、立命館大学との1回戦(11月12日)で、打線が桜井俊貴から毎回の18三振を奪われた末に完封負けを喫している。2018年6月17日、第67回全日本大学野球選手権大会決勝で国際武道大学に6-2で勝利し優勝した。
1990年 - 2001年
『西武ライオンズ』 時代 プロ1年目の1990年から一軍出場を果たす。西武黄金期の貴重な控え選手として森祇晶・東尾修の両監督に仕えた。特に日本シリーズには滅法強く、印象に残るプレーを見せている。1992年の日本シリーズでは、第6戦の9回表2死、1点ビハインドの場面で四球で出塁すると、続く秋山幸二の右越え安打で一塁から一気に本塁を突き、古田敦也のブロックをかいくぐって左手で本塁にタッチする好走塁で生還。1994年はシーズン出場は15試合だったが、日本シリーズは全試合2番ライトでスタメン出場し、打率.320を記録。4試合でスタメン出場した1998年の日本シリーズでは、第5戦から第6戦にかけて6打数連続安打のシリーズ新記録(当時)を樹立し、打率.643の活躍で敢闘選手賞を受賞した。日本シリーズ通算打率(50打席以上)では歴代1位(通算58打数23安打3打点、打率.397)を記録している。 2001年限りで引退
1986年 - 1989年
同校の硬式野球部で佐々木主浩らと共にプレー。「東北福祉大学伝説のキャプテン」と呼ばれて各球団の後輩選手から慕われていた。ルームメイトは金本知憲だった。 1989年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから3位指名を受け入団。