2012年 - 2014年
Honda鈴鹿
1年目から公式戦に登板したものの、2年目は故障や体調不良の影響で登板の機会がなかった。3年目はJABA東京スポニチ大会の対大阪ガス戦で公式戦初先発。都市対抗の東海地区予選では、JR東海との東海第4代表決定戦に6回1死2塁から救援で登板すると、打者11人を完璧に抑えた末にチームを本選出場に導いた。チームメイトには濱矢廣大、土肥寛昌がいた。
2014年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから4巡目で指名。契約金5,000万円、年俸840万円(金額は推定)で入団。背番号は43。
なお、指名後は日本選手権に出場。明治安田生命との初戦で、5番手投手として救援登板するも逆転の適時打を浴び、チームは初戦敗退となった。
2009年 - 2011年
岡山県立倉敷工業高校への進学後、1年秋からベンチ入り。2年秋からエースとなった。在学中は春夏とも全国大会出場はなし。
2006年 - 2008年
倉敷市立黒崎中学校時代は同校の軟式野球部に所属し、投手に専念した。
2003年 - 2005年
倉敷市立玉島南小学校4年時に「玉南少年野球」に入団し野球を始め、小学校5年時には中堅手として岡山県大会での準優勝を経験した。