TEAMS FILE- キズナ繋がれ!みんなのチーム名鑑 -

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73 桑田真澄

クワタ マスミ

二軍監督

現在の所属 読売ジャイアンツ(野球) 生年月日 1968年4月1日
身長 174cm 体重 80kg
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スポーツ歴

読売ジャイアンツ 野球

2021年 - 現在

二軍監督

2021年1月12日、巨人の一軍投手チーフコーチ補佐として現場復帰。前年に既に2021年シーズンのコーチングスタッフは発表済みだったが、監督の原辰徳の発案によって年明けに入閣を打診されたものである。当初は臨時コーチだと思っていたという。将来は指導者の道に進みたいとする希望は現役時代からあったが、あらゆる方向で野球の勉強が必要と思っていたため、現役引退から10年程度は現場に戻ってはいけないと思っていた。

2022年は、投手チーフコーチに昇格した。

2023年は、ファーム総監督に配置転換された。

2024年は、二軍監督に配置転換された。

ピッツバーグ・パイレーツ 野球

2007年 - 2007年

投手

2006年12月20日、ピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結ぶことが発表。日本人のパイレーツとの契約は、マイナーを含め第1号。

2007年の春季キャンプに招待選手として参加、3月26日、トロント・ブルージェイズとのオープン戦で登板した際、球審と三塁ベースカバーで激突し右足首の靭帯断裂。

パイレーツの3Aインディアナポリス・インディアンズで6月2日に3Aでの公式戦初登板を果たした。

6月9日にメジャー昇格、6月10日にヤンキースタジアムで行なわれたニューヨーク・ヤンキース戦でメジャー初登板を果たした。39歳70日でのメジャーデビューは日本人選手では史上1位(当時、現在は高橋建に次いで2位)、メジャー全体でも第二次世界大戦以後ではサチェル・ペイジの42歳、ディオメデス・オリーボの41歳に次ぐ記録となった。

19試合に登板し0勝1敗、防御率9.43と振るわず、1勝も上げないまま8月14日(日本時間では15日)にピッツバーグより戦力外通告を受けた。

2008年1月8日、再びパイレーツとマイナー契約を結び、春季キャンプに招待選手として参加。オープン戦では好投を見せたが、若手を起用する球団構想から外れ、メジャー昇格が絶望的となったことから、3月26日、引退する意思を明らかにし帰国。9月23日に茨城ゴールデンゴールズ主催の引退試合を行った。

読売ジャイアンツ 野球

1986年 1月 - 2006年11月

投手

<タイトル・NPB>
・最優秀防御率:2回(1987年、2002年)※2002年における15年ぶりの受賞は、連盟表彰となるタイトルの最大ブランクである。
・最多奪三振:1回(1994年)
・最高勝率 :1回(1998年)(※当時連盟表彰なし)。セントラル・リーグでは、1972年までと2013年以降表彰。

 

<表彰・NPB>
・沢村栄治賞:1回(1987年)
・最優秀選手:1回(1994年)
・ベストナイン:1回(1987年)
・ゴールデングラブ賞:8回(1987年、1988年、1991年、1993年、1994年、1997年、1998年、2002年)※投手最多タイ記録(他は西本聖)
・三井ゴールデン・グラブ レジェンズ(投手部門)
・最優秀投手:1回(1987年)
・日本シリーズ優秀選手賞:1回(1994年)
・最優秀バッテリー賞:1回(1994年 捕手:村田真一)
・月間MVP:4回(1987年7月、1991年4月、1993年5月、1998年8月)
・優秀JCB・MEP賞:1回(1991年)
・報知プロスポーツ大賞:2回(1987年、1994年)
・ヤナセ・ジャイアンツMVP賞:1回(1994年)
・ゆうもあ大賞:1回(2008年)

 

<記録・NPB>
【初記録】
・初登板:1986年5月25日、対中日ドラゴンズ7回戦(ナゴヤ球場)、8回裏に2番手で救援登板、1回1失点
・初奪三振:同上、8回裏に鈴木康友から
・初先発:1986年5月28日、対阪神タイガース10回戦(阪神甲子園球場)、3回1/3を4失点
・初勝利・初完投勝利:1986年6月5日、対阪神タイガース10回戦(後楽園球場)、9回2失点
・初完封勝利:1987年7月8日、対広島東洋カープ11回戦(札幌市円山球場)
・初セーブ:1991年4月14日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場)、8回裏に2番手で救援登板・完了、1回無失点
・初安打:1986年6月5日、対阪神タイガース10回戦(後楽園球場)、5回裏に佐藤秀明から単打
・初打点:1987年4月28日、対中日ドラゴンズ4回戦(ナゴヤ球場)、2回表に鈴木孝政から先制2点適時打
・初本塁打:1987年7月8日、対広島東洋カープ11回戦(札幌市円山球場)、4回裏に北別府学から先制決勝3ラン

 

【節目の記録】
・1000投球回:1991年6月21日、対横浜大洋ホエールズ13回戦(東京ドーム)、2回表三死目に達成 ※史上242人目
・1000奪三振:1993年6月12日、対中日ドラゴンズ10回戦(ナゴヤ球場)、1回裏にアロンゾ・パウエルから ※史上89人目
・1500投球回:1993年9月29日、対中日ドラゴンズ22回戦(ナゴヤ球場)、2回裏一死目に達成 ※史上137人目
・100勝:1994年7月6日、対阪神タイガース15回戦(阪神甲子園球場)、9回1失点完投勝利 ※史上111人目
・1500奪三振:1998年6月17日、対中日ドラゴンズ13回戦(東京ドーム)、4回表に山崎武司から ※史上42人目
・2000投球回:同上、9回表三死目に南渕時高を右飛で達成 ※史上78人目
・150勝:2001年8月10日、対ヤクルトスワローズ20回戦(東京ドーム)、先発登板で7回1失点 ※史上44人目
・2500投球回:2002年8月13日、対ヤクルトスワローズ20回戦(東京ドーム)、3回表三死目に佐藤真一を遊撃ゴロで達成 ※史上42人目

 

【その他の記録】
・危険球退場:3回 ※浅尾拓也、内海哲也と並びNPB2位タイ
①1995年4月8日、対ヤクルトスワローズ2回戦(東京ドーム)、9回表に飯田哲也に
②1999年9月12日、対阪神タイガース24回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に八木裕に
③2005年8月14日、対阪神タイガース15回戦(東京ドーム)、1回表に矢野輝弘に
・オールスターゲーム選出:8回(1987年 – 1989年、1991年 – 1994年、1997年)

PL学園高等学校硬式野球部 野球

1983年 4月 - 1985年11月

投手

八尾市立大正中学校野球部(準硬式) 野球

1980年 4月 - 1982年8月

投手

八尾市立大正中学校に入学し、野球部に所属。準硬式の試合(大阪中学校優勝野球大会)に出場。入学直後に外野手兼一塁手としてレギュラーポジションを獲得。秋からエースとして活躍。
中学2年時(1981年)には、第32回大阪中学校優勝野球大会で優勝した守口市立八雲中学校(エースは清水哲)に0-1で惜敗。中3時(1982年)には、出場した春の中河内地区大会、大阪府大会、八尾市大会、第33回大阪中学校優勝野球大会の全てを制覇。

大阪八尾ボーイズ(八尾フレンド) 小学部 野球

1976年 4月 - 1979年12月

小学3年から八尾フレンド(当時)に所属。

ソフトボール

1974年 - 1975年

はやぶさ子供会

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