TEAMS FILE- キズナ繋がれ!みんなのチーム名鑑 -

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3 加藤豪将

カトウ ゴウスケ

内野手

現在の所属 北海道日本ハムファイターズ(野球) 生年月日 1994年10月8日
身長 185cm 体重 91kg
出身地 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタクララ郡マウンテンビュー
投/打 右/左
史上初 日本国籍を持つ選手でMLBドラフト指名による入団を経てメジャーデビューした史上初の選手、および日本国籍でNPBを経ずにメジャーデビューした史上初の野手。
野球をはじめたきっかけ 6歳からリトルリーグで野球を始めた。
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スポーツ歴

北海道日本ハムファイターズ 野球

2023年 - 現在

内野手

2022年ドラフト3位

野球

2022年 5月 - 2022年10月

メッツ傘下時代 ◇ 2022年5月7日、ウェイバー公示を経てニューヨーク・メッツへ移籍し、同日中にAAA級シラキュースに加わった。同月17日にメジャー昇格。背番号は松井稼頭央がメッツ時代に着用していた「25」。同月21日、出場機会が無いまま再びAAA級シラキュースに降格し6月17日にDFAとなった。20日にマイナー契約でメッツに残留し、AAA級シラキュースでプレーを続けることになった。

トロント・ブルージェイズ 野球

2022年 1月 - 2022年5月

2021年12月16日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結び、AA級ニューハンプシャーに配属された。 ◇ 2022年は、招待選手としてスプリングトレーニングに参加。4月7日にプロ入り10年目にして初の開幕ロースター入り(メジャー昇格)を果たした。日本国籍を有する選手が、MLBドラフト指名による入団を経てメジャー昇格したのはMLB史上初となった。4月9日、対レンジャーズ戦(ロジャーズ・センター)の8回裏に、アレハンドロ・カークの代走でメジャー初出場。NPBを経ずにメジャーデビューした選手は、マック鈴木、多田野数人、田澤純一に続いて日本人史上4人目で、野手では日本人初。しかし、チームが同8日にトレードで獲得したブラッドリー・ジマーを28人枠に登録する影響で、同10日にAAA級バッファローに降格した。同14日、テオスカー・ヘルナンデスの負傷者リスト入りに伴い、再びメジャー昇格[29]。同21日のレッドソックス戦(フェンウェイ・パーク)で、8番二塁手としてメジャー初先発出場、3回表のメジャー初打席では四球を選び、その後先制のホームを踏むなど、1打数無安打1得点であった。さらに、同27日のレッドソックス戦(ロジャーズ・センター)では、4回裏にマイケル・ワカからメジャー初安打となる二塁打を放った。しかし、5月1日に再びAAA級バッファローに降格となり、同4日にDFAとなった。

野球

2020年 11月 - 2021年11月

パドレス傘下時代 ◇ 2020年11月16日に地元のサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ。 ◇ 2021年は、開幕から1年を通してAAA級エルパソでプレー。主に二塁・一塁・左翼を守り、打撃ではシーズン終盤に調子を上げ、114試合で打率.306、8本塁打、42打点、チームトップのOPS.862と好成績を挙げた。オフの11月7日にマイナーリーグFAとなった。

野球

2020年 1月 - 2020年11月

マーリンズ傘下時代 ◇ 2019年12月8日、マイアミ・マーリンズとマイナー契約を結び、2020年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。 ◇ 2020年は、新型コロナウイルスの感染拡大によりMLB開幕が7月に延期となったが、開幕前のサマーキャンプメンバー(プレーヤー・プール、60人枠)に選ばれず、加えてマイナーリーグが開催中止となったため、2020年公式戦でのプレー機会を事実上失った。しかし、MLB開幕後にマーリンズ球団内でCOVID-19集団感染が発生し、選手もミゲル・ロハスら13人が同時に負傷者リスト入りした上、今シーズン出場辞退を表明する選手(イーサン・ディアス)も出る異常事態となり、ロースターの大幅入れ替えを余儀なくされた結果、加藤も8月4日にキャンプメンバー(60人枠)に追加召集された。結局メジャー昇格はならず、11月2日にマイナーリーグFAとなった。

野球

2013年 6月 - 2019年11月

契約後はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキースに合流。6月21日、開幕戦のパイレーツ戦で本塁打を放った。50試合の出場で打率.310、6本塁打、25打点、OPS.924、4盗塁を記録。ガルフコーストリーグのベストナインおよびベースボール・アメリカ誌選出の来季チーム有望株第10位に選ばれた。12月2日にはMiLBとTopps社が選ぶ「Topps Short-Season/Rookie All-Star」に選出された。 ◇ 2014年3月31日にA級チャールストン・リバードッグスへ昇格。前半戦は57試合の出場で打率.190、2本塁打、OPS.618、12盗塁と低迷したが、後半戦は64試合の出場で打率.251、1本塁打、OPS.719、8盗塁と打撃成績を上昇させてシーズンを終了。 ◇ 2015年、A級チャールストンで開幕を迎えたが39試合の出場で打率.161、1本塁打、9打点、OPS.466、8盗塁の成績で5月25日にフロリダ州タンパで行われている延長キャンプに送られた。その後、6月下旬にルーキーアドバンスド級プラスキ・ヤンキースへ合流。ここでは59試合の出場で打率.287、5本塁打、22打点、OPS.842、9盗塁の成績でアパラチアンリーグのベストナイン選出。 ◇ 2016年は、ルーキーアドバンスド級プラスキで開幕を迎えたが、5月23日にA級チャールストンに昇格。加藤は前年までは二塁手専門だったが、当シーズンからはユーティリティープレイヤーとして他のポジションも守るようになる。 ◇ 2017年は、A級チャールストンで開幕を迎え、4月2日にタンパの延長キャンプに送られ5月2日にA+級タンパ・ヤンキースに昇格。 ◇ 2018年は、キャリアで初めて招待選手としてメジャーのスプリングトレーニングに参加(オープン戦は出場なし)。開幕はAA級トレントンで迎え、シーズン終了までプレー。 ◇ 2019年は、前年同様に招待選手としてスプリングトレーニングに参加、オープン戦にも初出場した。開幕は初めてAAA級スクラントンで迎え、5月3日に自己最高の第7号本塁打を放つなど好調だったが、5月中旬ごろから調子を落とす。開幕当初ヤンキースに怪我人が続出していたこともあり、AAA級の主力組が続々とメジャー昇格を決めたが、その選手たちも怪我人復帰に伴ってマイナー降格。AAAのロースターが飽和状態となり、それに押し出される形で加藤もAAで過ごす期間も増えていき、以降はAA級トレントンとの昇降格を繰り返した。しかし夏場に再び調子を上げ、AAA級で83試合に出場し、打率.279、11本塁打、39打点、OPS.825の好成績を残した。AAA級のポストシーズン第1戦では、レイズ傘下ダーラム・ブルズとの第1試合で本塁打を含む2長打を放つ活躍をみせた。マイナー契約期間が6年に達したため、11月7日にマイナーリーグFAとなった。

野球

2010年 - 2013年6月

カリフォルニア州サンディエゴのランチョ・バーナード高等学校に進学し、在学中は二塁手としてプレー。打率.411、25本塁打、114打点を記録し、ルイビルスラッガー社が選ぶ全米ファーストチーム、ローリングス社が選ぶ全米セカンドチーム、ゴールデングラブ賞を受賞。2010年にロサンゼルスで開催された日米親善高校野球大会では、甲子園で春夏連覇した興南高校の島袋洋奨から安打を打った。高校卒業後はカリフォルニア大学ロサンゼルス校への推薦入学が内定していたが、2013年6月6日に行われたメジャーリーグのドラフト会議で、ニューヨーク・ヤンキースから2巡目(全体66番目)で指名された。日本国籍を持つ選手がMLBドラフトの全体100番目以内で指名されるのは史上初。同19日に契約金84万5700ドルでマイナーリーグ契約した。

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