2017年 - 2020年
九州産業大学では1年春からリーグ戦に登板。2年春に防御率1.44[7]、リーグ最多の7勝を挙げMVPを獲得した。しかし同リーグ戦で左肘を痛め、同年の全日本大学野球選手権にも出場するが状態は上がらず、8月に左肘の遊離軟骨除去手術を受けた。3年春のリーグ戦で復帰するが、同年8月に2度目の手術となる左肘のトミー・ジョン手術を受けた。4年秋からリーグ戦に復帰し、10月24日の九州共立大学戦では2番手で登板し、2回2/3を無安打無失点に抑えて優勝を決め、胴上げ投手となった九州大学野球選手権では決勝の日本文理大学戦で7回1死二塁から登板して後続2人を抑え、チームは2-1で優勝を決めた。3学年上に井手亮太郎、1学年上に福森耀真、石田駿がいる。 2020年のNPB育成ドラフト会議で、阪神タイガースから1巡目で指名。支度金200万円、年俸300万円(金額は推定)という条件で、育成選手として入団した。背番号は122で、この年までアマスカウトとして九州地区を10年間担当してきた田中秀太(2021年シーズンから二軍内野守備走塁コーチとして現場に復帰)が、スカウティングや入団交渉を最後に手掛けた選手でもある。
2014年 - 2016年
九産大九州高校では1年夏からベンチ入り。2年春に甲子園に出場した。初戦の近江高校戦に先発し、8回2失点で敗戦投手となった。2年夏は福岡大会3回戦の福岡大大濠高校戦で浜地真澄に本塁打を浴びるなど2失点、チームは浜地の前に3安打完封負けを喫した。3年夏は福岡大会4回戦で八女工業高校に敗れた。
2005年 - 2010年
吉塚クリッパーズ