2008年 - 2011年
広島東洋カープの監督時代に日本シリーズ制覇を3度経験した古葉竹識が監督へ就任したばかりの硬式野球部で、1年時の春から東京新大学野球のリーグ戦に登板した。エースとして臨んだ4年時(2011年)の春季リーグ戦では、3完封を含む7勝を挙げて、チーム史上初の優勝に貢献。自身もMVPとベストナインを獲得した。また、大学として初出場した大学選手権ではベスト4進出に貢献した。 2011年NPBドラフト会議の前には、東京ヤクルトスワローズをはじめ、複数の球団が上位指名候補に挙げていることが報じられた。実際には、阪神タイガースから4巡目で指名。東京国際大学の出身者としては初めての指名で、契約金4,000万円、年俸800万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は17。
2005年 - 2007年
埼玉県立坂戸西高等学校 入学後に投手へ転向すると、2年時の秋からエースの座を確保したが、在学中には全国大会と無縁であった。
2002年 - 2004年
小川東中学校時代に野球をスタート。当初は控えの二塁手であった。