TEAMS FILE- キズナ繋がれ!みんなのチーム名鑑 -

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48 藤井皓哉

フジイ コウヤ

投手

現在の所属 福岡ソフトバンクホークス(野球) 生年月日 1996年7月29日
身長 183cm 体重 87kg
出身地 岡山県笠岡市
血液型 AB
投/打 右/左
出身小学校 笠岡市立大井小学校
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スポーツ歴

福岡ソフトバンクホークス 野球

2022年 - 現在

投手

2021年12月14日、福岡ソフトバンクホークスと育成選手契約を締結し、1年でNPB復帰を果たした。背番号は157。

2022年は春季キャンプをB組でスタートするも、2月17日からA組に合流。実戦では計6試合にリリーフ登板し、計8イニングで6安打15奪三振4失点を記録すると、3月22日に支配下選手登録された。背番号は48、推定年俸は650万円。開幕を一軍で迎え、3月26日の日本ハム戦で移籍後初登板を果たすと、翌27日の同カードでは1点ビハインドの5回表、一死満塁の場面から登板。見逃し三振と三ゴロで無失点に切り抜けると、直後に打線が逆転し、続投した6回表も3者凡退に抑えて移籍後初勝利。NPBでは4年ぶりの白星を挙げた。6月1日の読売ジャイアンツ戦では3点リードの8回裏から登板し、2回無失点でプロ初セーブも挙げた。開幕から21試合連続無失点を記録するなど、ブルペンの一角として活躍していたが、6月27日に新型コロナウイルス陽性判定を受け、同日付で特例2022により出場選手登録を抹消された。7月8日に筑後のリハビリ組に合流し、同15日の二軍戦で実戦復帰。7月20日に一軍復帰を果たし、前半戦終了時点では30試合に登板し、4勝0敗9ホールド1セーブ・防御率0.57を記録。8月は10登板で4失点(自責点3)とやや調子を落としたが、9月は復調し、後半戦は主に8回のセットアッパーを任された。チームが優勝マジック1で迎えた10月1日の埼玉西武ライオンズ戦では、山川穂高にサヨナラ2点本塁打を打たれてプロ初黒星を喫し、涙を流した。この年は55試合に登板し、5勝1敗22ホールド3セーブ・防御率1.12と好成績を残した。CSではファーストステージに1試合、ファイナルステージに3試合に登板した。オフに4350万円増となる推定年俸5000万円で契約を更改。809%アップは球団史上最高の昇給率であった。また、エースの千賀滉大がニューヨーク・メッツに移籍したことを受け、翌シーズンは先発へ転向することが決定した。

2023年は開幕ローテーション入りし、開幕2試合目の千葉ロッテマリーンズ戦でNPB初先発となり、7回2安打2四球9奪三振無失点の好投で勝利投手となった。開幕から16回2/3連続無失点を記録するなど、先発ローテーションの一角を担っていたが、6月11日の巨人戦では3回53球で降板。MRI検査の結果、左内腹斜筋の肉離れと診断され、翌12日に出場選手登録を抹消された。7月9日の四軍戦で実戦復帰するも、セットアッパーのモイネロが左肘の手術を受けることが決まり、藤本博史監督からリリーフ再転向を打診され、7月25日に一軍復帰。9月には体調不良で特例2023による登録抹消が2度あったものの、シーズン終盤は7回のセットアッパーを任された。この年は先発としては8試合の登板で5勝3敗・防御率2.51、シーズン全体では34試合(8先発)に登板して5勝3敗9ホールド・防御率2.33を記録。CSファーストステージでは2試合に登板し、シーズン終了後には翌シーズンのリリーフ起用が決定した。推定年俸は600万円増となる5600万円となった。

高知ファイティングドッグス 野球

2021年 - 2021年

投手

2020年12月29日、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスと契約した。背番号は広島時代と同じ41。トライアウト後は独立リーグ、台湾プロ野球、社会人野球から接触があった中、監督の吉田豊彦が直接出向いて「先の安定を求めるなら社会人。NPBへ戻る気持ちがまだあるならウチだと思う」という言葉をかけた高知に入団を決意したという。

2021年5月9日に行われた福岡ソフトバンクホークス三軍との交流戦でノーヒットノーランを達成した。続く同15日の愛媛マンダリンパイレーツ戦は、笠岡市出身の藤井の凱旋試合としてかさおか古代の丘スポーツ公園野球場で開催され、8回無失点の好投で勝利投手となった。この年は22試合の登板で11勝3敗・防御率1.12、145イニングを投げて180奪三振を記録し、最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得した。後述のソフトバンク入団のため、12月14日付で自由契約となった。

広島東洋カープ 野球

2015年 - 2020年

投手

2015年はウエスタン・リーグで6試合に登板し、10回1/3を投げて防御率3.48を記録した。

2016年は7月14日に開催されたフレッシュオールスターゲームに出場し、4回表に4番手として登板。1イニングを無失点に抑えた。この年はウエスタン・リーグで17試合に登板し、0勝2敗・防御率4.63という成績であった。

2017年はウエスタン・リーグで24登板・防御率8.26という成績ながら、8月以降は8試合の登板で計8回12奪三振2失点を記録し、9月21日に出場選手登録。同30日の横浜DeNAベイスターズ戦の7回裏、1-1の場面でプロ初登板を果たし、1イニングを3者凡退に抑えてプロ初ホールドを挙げた。この年は一軍で2試合に登板し、0勝0敗1ホールド・防御率0.00という成績であった。

2018年は5月25日に出場選手登録され、シーズン4試合目の登板となった6月6日の北海道日本ハムファイターズ戦で1点ビハインドの9回表から登板し、3者凡退に抑えると、直後にチームが逆転サヨナラ勝ちを収め、藤井にプロ初勝利が記録された。ただ、続く同13日のオリックス・バファローズ戦ではT-岡田に3点本塁打を打たれ、2回3失点という結果で翌14日に出場選手登録を抹消された。その後は9月6日に再登録されるも、10月5日に登録抹消となり、この年は8試合の登板で1勝0敗・防御率6.14という成績であった。

2019年は4月9日に出場選手登録され、同日の東京ヤクルトスワローズ戦でシーズン初登板となるも、2回4安打4四球3奪三振3失点という内容で交代し、翌10日に登録抹消。4月30日に再登録されるも、2試合連続で失点を喫し、5月9日に出場選手登録を抹消された。6月20日に再登録され、同23日のオリックス戦で5点ビハインドの延長10回表、二死三塁という場面から登板したが、連続四球で満塁とすると、後藤駿太と福田周平に適時三塁打を打たれて4失点。翌6月24日に出場選手登録を抹消されて以降の一軍登板はなくシーズンを終えた。この年は二軍で26試合に登板して防御率0.33を記録した一方、一軍では4試合の登板で防御率14.21という成績に終わった。

2020年は新型コロナウイルスの影響で開幕延期・短縮シーズンとなったが、一軍登板は無く、ウエスタン・リーグでも27試合に登板して2勝2敗2セーブ・防御率4.61という成績に終わった。11月4日に球団から戦力外通告を受け、12月2日付で自由契約公示された。「9、10月は自分の思った球を投げられていたので、まだ投げたい気持ちはある」と現役続行を目指して12月7日のトライアウトを受験し、空振り三振・空振り三振・遊ゴロという結果であった。

おかやま山陽高等学校硬式野球部 野球

2012年 4月 - 2014年

投手

入学時は内野手であったが、投手へ転向し、2年秋からは投手に専念してエースを務めた。 3年夏は就実との初戦に敗れた。甲子園出場経験はなし。

2014年10月23日に開催されたドラフト会議にて、広島東洋カープから4位指名を受け、11月13日に契約金3800万円・年俸500万円(いずれも金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は41。

野球

2009年 4月 - 2011年

笠岡市立笠岡西中学校軟式野球部

中学時代は主にショートを守っていた。

ソフトボール

2005年 - 2008年

大井若草スポーツ少年団

笠岡市立大井小学校3年時から大井若草スポーツ少年団でソフトボールを始めた。

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