TEAMS FILE- キズナ繋がれ!みんなのチーム名鑑 -

PLAYERS FILE- キズナ繋がれ!みんなのチーム名鑑 -

※ 新規登録と情報の変更申請はこちら

男色“ダンディ”ディーノ

ダンショク“ダンディ”ディーノ

現在の所属 DDTプロレスリング(プロレス) 生年月日 1977年5月18日
身長 179cm 体重 105kg
出身地 広島県豊田郡瀬戸田町(現:尾道市)
所属 DDTプロレスリング 、オスカープロモーション
もっと見る

スポーツ歴

DDTプロレスリング プロレス

2008年 - 現在

CMAプロレス退団後、DDTプロレスリングに移籍。そのキャラクターのユニークさからプロレスリング・ノア、ZERO-ONE MAX、大日本プロレス、新日本プロレスなど他団体のリングにも次々登場し、プロレス界で異彩を放つ人気レスラーとなっていった。

 

2009年
8月23日、両国国技館で行われた「両国ピーターパン 〜大人になんてなれないよ〜」にて、当時保持していた以下5冠、

DDT EXTREME級王座
大森夢フェア認定世界大森級王座
大中華統一四川流無差別級王座
梅村パソコン塾認定世界コピー&ペースト級王座
DJニラ認定世界および史上最高級王座

 

およびマサ高梨が保持していた以下4冠

GAY世界アナル級王座
JET世界ジェット級王座
世界ミッドブレス級王座
DJニラ認定世界および史上最強級王座

との9冠統一戦に勝利して史上初の9冠同時戴冠を達成する。

 

12月22日と23日に新日本プロレス主催で行われたSUPER J-CUP(本人曰く『SUPER ゲイCUP』)に初出場。初戦の邪道戦では新技、ゲイ道クラッチで大金星を挙げる。当初の目的であったプリンス・デヴィット戦ではデヴィットの唇を奪うことには成功した。

 

2010年
1月10日、今池ガスホール大会を体調不良で欠場しDDT EXTREME級選手権を返上。2月11日、石川修司の持つKO-D無差別級選手権に挑戦するも、王座奪取ならず。3月27日、アイアンマンヘビーメタル級をマサ高梨より奪取。再び9冠王者となる。その後4月21日に安部行洋に奪われるも直後に奪還する。5月5日、ZEPP NAGOYA大会にてDDT EXTREME級選手権を王者GENTAROより奪還に成功。これにより史上初の10冠王者となった。6月5日、DDT直営のスポーツバー「ドロップキック」で行われていた「高梨エイド」で泥酔して眠りこけているうちにマサ高梨にアイアンマンヘビーメタル級を奪われ再び9冠に転落。

 

7月25日の『両国ピーターパン2010 〜夏休み ああ夏休み 夏休み〜』に向け、同時期にゲイレスラーとして、また学生レスラーとして活躍したもの同士としてレイザーラモン・HGとの対戦を熱望。これに対してRGは、HGの怪我が完治していないこと、引退宣言をしていることを理由に相方を出場させることを拒絶するが、HG本人がディーノの熱意に押される形で受諾。RGを加えてのハンディキャップマッチが行われ、最終的にディーノがHGの古傷である膝を狙い膝十字固めで勝利した。

 

8月29日、後楽園ホール大会で、高木三四郎&澤宗紀の「チーム変態大社長」の持つCMLL認定KO-Dタッグ選手権に越中詩郎をパートナーとして挑戦。(試合はMIKAMI&タノムサク鳥羽組を加えた3Way)高木にゴッチ式男色ドライバーを決め勝利。再び10冠王者となる。

 

2011年
7月24日、『両国ピーターパン2011〜二度あることは三度ある〜』にて念願のボブ・サップと1ラウンド3分特殊ルールマッチ(1ラウンドごとに股間攻撃禁止ラウンドと解禁ラウンドを繰り返す)で対戦。男色殺法でサップを怯えさせ、ゲイ道クラッチで勝利。8月28日、大石真翔・飯伏幸太とほもいろクローバーZを結成、後にKUDOもメンバーに加わる。

 

2012年
1月29日、後楽園ホール大会で、KUDOのKO-D無差別級ベルトに挑戦。ほもクロZ同門対決を新技男色トルネードで制し、5年9ヵ月ぶりのKO-D無差別級王座戴冠。

 

2013年
ほもいろクローバーZ解散。その後は大石真翔と彰人の3人で活動。

 

2014年
彰人との決別によりしばらくの間は大石と2人で活動中だったが、勝俣瞬馬が加わり新ユニット男方神起を結成する。

 

2015年
3月29日、スーパー・ササダンゴ・マシンと組んで挑戦したKO-Dタッグ選手権の試合中にスキンヘッドを披露。この試合以降はいつものゲイスタイルから新崎人生のお遍路スタイルに変え男色人生の名で活動していたが、5月17日に名古屋国際会議場にて行われた新崎人生本人との対戦が実現。試合後に新崎が自分のスタイルで試合をすることをやめてほしいと願い出て、新崎からキスを受けるといつものディーノに戻った。

 

2017年
8月21日、新宿御苑のDDT事務所にて8月20日に行われた両国国技館大会の一夜明け会見。会見には全権・コントラ・結婚マッチで高木三四郎に勝利し、プロデューサーとなった男色ディーノが登場。KO-D10人タッグ王座について、ディーノは王者組のLiLiCoやレディビアードのスケジュール面を考え、今後は王者組の5人のうちリーダーを含む3人以上のメンバーがいれば、他のメンバーを加えて防衛戦を行っても良いと発表した。8月25日に新宿FACEで行われたエニウェアフォール6人タッグマッチでは石井慧介と岩崎孝樹の3人タッグでHARASHIMA、高尾蒼馬、宮本裕向の3人タッグと対戦。11分8秒体固めでHARASHIMAが岩崎を体固めに仕留め、ディーノ組は敗北となった。この試合ではディーノは縦横無尽に会場を走り回り、HARASHIMAも下剋上したい岩崎をカウンター席での蒼馬刀というフィニッシュでねじ伏せた。ディーノも選手としては「個人としてはプレーヤーの欲がなくなったわけじゃない」とキッパリ。工場でのタッグ王座戦に向け「DDTを変えると、イメージを変えるというのに真っ先に必要なのは、今までとチャンピオンが変わるということなのよ。そういう意味ではまた私が新しくベルトを取ってイメージを変える」と宣言した。

 

9月20日、宮地鉄工所での工場プロレスで高木三四郎とタッグを組みHARASHIMA・丸藤正道組の持つKO-Dタッグ選手権試合に挑むも、フォークリフトを使用しての不知火により敗戦。

 

2018年
3月25日、DDT両国国技館大会にて、この試合を以て長期欠場に入るグレート・ムタと6人タッグで対戦。ディーノの尻にムタが毒霧を放つ等互いの世界観をぶつけ合うが試合に敗戦。試合後「勝ち逃げは許さない。次はシングルで勝負よ」とムタのリング復帰と再戦を誓った。

6月24日、DDT後楽園大会にてKO-D無差別級王者である入江茂弘からディーノのプロデューサー体制を批判される。

8月14日新木場1stRING・DDTLIVE!マジ卍内にて入江茂弘の試合終了直後に里村明衣子が挑戦表明した所に割って入り、その場でいつでもどこでも挑戦権を使用し勝利。6年半ぶりとなるKO-D無差別級王座を戴冠。このベルトの為にプロデューサーになった事を告白しプロデューサーを辞任。

8月28日新木場1stRING・DDTLIVEマジ卍内にて里村明衣子とのKO-D無差別級王座戦に敗れ王座陥落、女子初の同王座戴冠を許してしまう。

9月23日、DDT後楽園大会にて王者里村・ディーノ・入江茂弘の3名によるKO-D無差別級サバイバル3Wayマッチを行い勝利。KO-D無差別級王座に返り咲く。

TAKAYAMANIA(2018年)でのディーノ

 

2021年
8月23日、飯野雄貴とタッグチーム「フェロモンズ」結成を発表。あわせて、リングネームの男色“ダンディ”ディーノへの改名を発表。

プロレス

2002年 - 2008年

CMAプロレスリング

2002年1月8日のタイガーハート戦をもって学生プロレスを引退、同年CMAプロレスリングに入団。

 

葛飾区金町地区センターで行われた、対高田慎一対SHURA対虎龍鬼対ジャンクハンター吉田対安倍健治戦でプロデビューを果たした。

 

プロデビュー当初はプロレスだけでは飯が食えず、同団体所属レスラーのジャンクハンター吉田が経営する編集プロダクションに入社し、テレビゲームの知識を生かしてファミ通Xbox、ゲームラボ、映画秘宝、宝島社のPC関係ムックなどで雑誌ライター業をこなした。

 

2018年現在もPCゲームの情報サイトである「4Gamer.net」で連載記事「男色ディーノのゲイムヒヒョー ゼロ」を執筆している。

プロレス

1996年 - 2002年

大阪学院大学プロレス研究会「OWF」

大阪学院大学経営科学部卒。同校の学生プロレス団体OWF(大阪学院大学プロレス研究会)に入団以来、現在まで同じリングネーム、キャラクターを貫いている。デビュー戦では本名でリングに上がっていたが、1回生の学園祭シリーズを前に先輩から男色ディーノと命名された。当初はリングネームとは裏腹にストロングスタイルを標榜していたが、試合を重ねるにつれてゲイキャラクターを身につけていった。学生時代はプロレスに打ち込むあまり留年に留年を重ね、支払った学費の総額から「ミスター1000万」の異名を取った。

高校サッカー

1993年 - 1995年

サッカー

1990年 - 1992年

瀬戸田町立瀬戸田中学校(尾道市立瀬戸田中学校)サッカー部

小中でのサッカー部のキャプテンには元プロサッカー選手の金本圭太がいる。

もっと見る