2015年 - 2017年
啓新高校入学直後に腰の疲労骨折に見舞われながら、1年時の秋からベンチ入りを果たした。2年時の秋には右肘痛、チームが優勝した3年時春の福井県大会直前には左脛の疲労骨折を経験。同大会でも背番号10でベンチに入っていたが、2試合の登板(1試合の先発)にとどまった。夏の選手権福井大会では、背番号1でロングリリーフに起用。3回戦で福井商業高校に敗れた。
高校時代には甲子園球場の全国大会と無縁であったが、故障が癒えた3年時(2017年)の5月に福知山成美高校との練習試合で「当時の高校生投手最速」とされる152km/hをストレートで計測したことを機に、NPB球団のスカウトから注目されていた。その年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから6巡目で指名。契約金3,000万円、年俸480万円(金額は推定)という条件で、啓新高校の出身者としては初めてのプロ野球選手になった。入団当初の背番号は66。
2012年 - 2014年
3年時には、野茂英雄率いるジュニア選抜チーム「NOMOジャパン」の一員として、アメリカへの遠征を経験した。
中学卒業後の進路として、高校球界の強豪である高知県の明徳義塾高校へ進学することも検討していたが、「明徳は自分がいなくても甲子園に行ける。啓新を自分の力で甲子園に連れて行きたい」との思いから、福井県の啓新高校への進学を決断した。
2008年 - 2011年
小学3年生から野球を始める。