2013年 5月 - 2013年6月
薬剤師の資格を取得し、大学を卒業した2013年4月、レッスルゲート主宰のHANZOに卒業を機に東京でプロレスラーとしての活動に専念したい意志を表明。HANZOがかねてから親交のあるカズ・ハヤシに相談、ハヤシを通じて全日本プロレスへ連絡がいき、5月1日付けで同団体への移籍が決定。再び本名の吉岡世起をリングネームとし、再デビューを目標に新弟子扱いとしてトレーニングを積む。2013年6月30日に全日本を退団。
2007年 4月 - 2013年4月
2007年4月、大学入学翌日からレッスルゲートに入門し、2008年10月5日、レッスルゲート広島大会で本名の吉岡世起として正式デビューした。ただし、それ以前にもマスクをかぶって試合を行っていた[1]。以降、学業とレスラーの文武両道の道を歩む。その後、リングネームをSEIKI(せいき)に改称。2011年11月には、当時レッスルゲートに所属していたSUSUMU(進祐哉)とのタッグで、プロレスリング・華激の管理するタッグ選手権である博多タッグ王座を奪取した。同王座は2012年5月にレッスルゲート所属のHANZO(中島半蔵)&ビクトリー上海に敗れるまで保持した。
また、全日本プロレスが岡山・倉敷・福山などで興行を行った際、他のレッスルゲート所属選手とともに、主に前座戦線に度々参戦した。