現在の所属 | オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(野球) | 生年月日 | 1993年4月18日 |
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身長 | 181cm | 体重 | 91kg |
投/打 | 右/左 | ||
出身地 | 千葉県船橋市 |
2016年 - 2023年10月
外野手
【表彰】
・新人王(2016年)
・スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞年間大賞:1回(2019年)
・月間サヨナラ賞:1回(2019年5月)
・サンスポMVP 特別賞:1回(2016年)
・関西スポーツ賞:1回(2017年)
【記録】
<初記録>
・初出場・初先発出場:2016年3月25日、対中日ドラゴンズ1回戦(京セラドーム大阪)、1番・左翼手で先発出場
・初打席・初安打:同上、1回裏に大野雄大から左前安打
・初打点:2016年3月26日、対中日ドラゴンズ2回戦(京セラドーム大阪)、3回裏に山井大介から右中間適時二塁打
・初本塁打:2016年3月31日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、1回表にカイル・デイビーズから右越先頭打者初球本塁打 ※新人選手の初回先頭打者初球での初本塁打は史上2人目(2リーグ分立後では史上初)
・初盗塁:2016年4月19日、対東京ヤクルトスワローズ4回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に二盗(投手:風張蓮、捕手:中村悠平)
<その他の記録>
・トリプルプレー:2022年4月27日対中日ドラゴンズ4回戦(阪神甲子園球場)
・オールスターゲーム出場:1回(2016年)
2020年は春季キャンプでMVPに選ばれ、開幕一軍入りはしたものの、2年連続で開幕スタメンを外れた。その後も極度の打撃不振で3度の二軍降格を経験。プロ入り最少の42試合出場にとどまり、成績も打率.152、3打点、0本塁打とどれも自己ワーストとなった。推定年俸は600万減となる3000万円でサイン。
2021年は春季キャンプで実戦11試合、打率.429を記録し2年連続でMVPに選ばれたが、オープン戦で結果を残せず、プロ初めて開幕一軍を逃した。シーズン通して一軍出場がなく、二軍でも打率.226と苦しんだ。推定年俸は減額制限に迫る700万減の2300万円。
2022年は4月9日に2年ぶりに一軍昇格。同日の対広島戦(甲子園)で代打として登場し、中前安打を放った。しかし、38試合の出場で打率一割台、本塁打打点ともになし。
2023年は新たに就任した岡田彰布一軍監督から期待を受ける[61]も、オープン戦で9打数1安打に終わるなど結果を残せず、開幕一軍入りを逃した。結局シーズンを通して一軍昇格なしに終わり、ペナントレース終了後の10月3日、球団から戦力外通告を受けた。
2012年 4月 - 2015年
外野手
1年時から右翼・中堅のレギュラーを確保し、3番打者へ起用。東京六大学野球では、春季リーグ戦で20安打を放った末に、打率.417でベストナインに選出。
2年時には、チームの春秋リーグ戦優勝に貢献。秋季には、通算13安打で打率.295ながら、自身2度目のベストナインに選出。
4年の時には、2015年夏季ユニバーシアード野球日本代表に選出。東京六大学の秋季リーグ戦では、大学の先輩・高田繁が1967年に樹立した通算最多安打のリーグ記録(127安打)に並ぶと、記録を131安打にまで更新。在学中には、リーグ戦通算で102試合に出場。404打数131安打、打率.324、8本塁打、45打点、18盗塁という成績を残し、ベストナインも6回受賞。また、卒業学部である文学部の2017年度版パンフレットの表紙に私服姿で登場。
2015年10月22日に行われたドラフト会議では、阪神タイガースと東京ヤクルトスワローズから1位指名を受け、抽選の末に阪神が交渉権を獲得。抽選の際には、ヤクルトの一軍監督の真中満が、外れくじを当たりくじと誤認したままガッツポーズを披露。真中は阪神の一軍監督である金本知憲がくじを開く前にガッツポーズを見せ、金本もくじの結果を確認しなかったため、会議を運営するNPBの事務局が抽選結果を一時誤って発表した。結局、事務局は金本が当たりくじを引いたことを確認したうえで、抽選結果を訂正。また、同会議で阪神は、大学でのチームメイト・坂本誠志郎が2位指名を受けた。
なお、この会議の直前(2015年10月18日)に、慶應義塾大学との東京六大学野球春季リーグ戦の打席でファウルを打った際に右手首を故障。同月21日に右手有鈎骨の骨折が判明したため、会議直後の26日に手術を受けた。手術後には、契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1500万円(金額は推定)という条件で入団。背番号は、同年までマット・マートンが着用していた9。
2009年 4月 - 2011年
外野手
1年生時の秋に1番右翼手としてレギュラーに定着すると、東京都大会で打率.435を記録。チームの都大会ベスト4入りに貢献。2年春の選抜大会では準優勝。チームが優勝した2年秋の都大会では、打率.432、4本塁打、13打点という好成績を挙げた。3年時には春夏ともに、甲子園出場。春の選抜大会で通算打率.529(17打数9安打)を記録すると、5番打者を任された夏の選手権大会では、通算打率.500(26打数13安打2本塁打)でチームを優勝に導いた。3年秋には、山口国体でも優勝を経験。在学中には、通算で32本塁打を記録。