木戸克彦
キド カツヒコ
2008年 - 2011年
2008年シーズンに一軍作戦兼バッテリーコーチに就任。2009年からはヘッドコーチに昇格したが、2011年限りで辞任。2012年、球団フロントの編成本部付(次長待遇)となった後、2012年9月5日付で次長待遇のままゼネラルマネージャー補佐となり、中村勝広ゼネラルマネージャーの急逝に伴う編成変更で2015年10月1日付で球団本部付次長となる。2017年10月、球団本部部長(プロスカウト担当)を務めながら、女子野球日本代表ヘッドコーチに就任。
1997年 - 2005年
一軍バッテリーコーチ(1997年から1998年、2001年)二軍バッテリーコーチ(1999年)、一軍ブルペンコーチ(2000年)を務めた。2001年には野村克也監督から通常は投手コーチの役割である、ピンチの場面や投手交代時にマウンドに駆けつける役も任せられた。2001年オフに野村の推挙で秋季キャンプのみヘッドコーチに就任したが、野村が監督を辞任したことにより、一軍バッテリーコーチに再転換された。2003年より二軍監督に就任し、ウエスタン・リーグで優勝。2005年にもウエスタン優勝を果たし、島野育夫一軍総合コーチの二軍監督就任に伴い退団。
1979年 4月 - 1982年
東京六大学リーグでは在学中3回優勝。和田護(日産自動車)、田中富生らとバッテリーを組む。リーグ通算76試合出場、274打数84安打、打率.307, 5本塁打、33打点を記録。2年生秋から5季連続でベストナインに選ばれ、4年時は主将。1981年から2年連続で日米大学野球選手権大会日本代表に選出。